昨日のブログを読んで、高名な作家に会うにしては、いかにも準備不足で、出会いはまったくの空振りだったと思われたのでは、そしてそんな私に対して哀れみを通り越して、むしろ腹立たしささえ覚えた方もいたのでは、と思う。しかし心配ご無用。私なりの準備はしていたのである。つまりその朝、客人到着の前に、大急ぎで一筆書きの自己紹介文をB5の紙一枚分にまとめていたのである。いやそれだけでなく、私がこれまでスペイン語で書いた唯一の論文というかエッセイ(『ウナムーノと漱石』)の抜き刷り、そしてさらにもう一つ、1996年の講談社主催の野間文芸翻訳賞で、あのノーベル文学賞受賞者のカミロ・ホセ・セーラ氏などと一緒に(?)審査員を務めたときの写真や短いコメント入りのスペイン語のパンフレットをコピーしていたのである。
意外と抜け目ないでしょう? しかしせっかくお会いするのに、私がどういう人間かを知ってもらうために、名刺代わりにそれくらい準備するのは礼儀というもんでしょう。いい機会だから、その自己紹介文を日本語に訳してご覧に入れます。
佐々木 孝 1939年、北海道帯広市に生まれる。1941年、家族(両親、兄、姉の五人家族)は旧満州に移住。父は万里の長城近くの僻村の下級役人だったが、終戦二年前に病死。終戦になって家族は帯広に引き揚げ、教師の母親が女手一つで家族を養う。1950年、父祖の地南相馬に転居。のち上智大学に入りスペイン語を学ぶが、卒業と同時にイエズス会に入会。広島で3年間の修行の後、東京に戻り2年間哲学を学ぶが、思うところあって退会。郷里に戻り結婚。定職のないまま二子(男女の双子)を得るが、機会があって清泉女子大学に就職、スペイン語・スペイン思想などを教える。その後、静岡の常葉学園大学、八王子の純心女子大学などに勤めるが、大学冬の時代に遭遇して大学教育に絶望し、定年前に職を辞して南相馬に戻り、以来ネットで『モノディアロゴス』などを発信。
★翻訳書(一部共訳を含む)
ロヨラのイグナチオの『自伝、霊的日記』
オルテガ 『ドン・キホーテをめぐる思索』
『ガリレオをめぐって』
『個人と社会』
『哲学の起源』
『ギジェルモ・ディルタイと生の理念』
ウナムーノ『キリスト教の苦悶』
『生粋主義をめぐって』
『生の悲劇的感情』
『ドン・キホーテとサンチョの生涯』
『殉教者聖マヌエル・ブエノ他二つの小説』
メネンデス・ピダル 『スペイン精神史序説』
ライン・エントラルゴ 『スペイン1898年の世代』
A・カストロ 『葛藤の時代』(私家本)
マダリアーガ 『情熱の構造』
カーロ・バローハ『カーニバル』
ビトリア 『人類共通の法を求めて』
さらに日本語の著書のリストを加えたがそれは省略。さて上の情報をさっと見ただけでもすぐ分かることだが、先ず佐々木孝は、先日のテレビで徐京植さんがおっしゃったように、「その人生は日本近代の国家の政策と共に流転を重ねている」こと、そして翻訳書の題名を見るだけで、斯道の大先輩H先生がその私信で書いてくださったように「一時的にせよスペイン・カトリックを内部から」見た経験をもとにウナムーノ、オルテガなどの代表作を訳している。喩えで言えば(ここからは私の解説です)日本仏教の開祖たちの本を訳すだけでなくその流れを汲む仏寺で修行をしたという、まさに「鬼に金棒(これはH先生の言葉)」の経験を持っている、「だからもっと自信をお持ちになっていいと思います」。
「もっと自信を」というありがたいお言葉の裏を返せば、佐々木よ、せっかくの経験をもっと研究なり執筆に生かせよ、ということであろう。たしかに貴重な経験やスペイン思想の「いいとこ取り」をしただけで、それを一向に深めることをしないできたわけだ。自分の口から言うのもなんだが、実にもったいないことになっている。
一回限りの人生、ここで終わらせてはお天道様(?)に申し訳ない、もう少し(ですかー?)がんばっぺ。
Sさん、ようこそ。実は「再開」を「再会」に、そして「先生」という言葉を勝手に付け足したのは私・佐々木孝です。もちろんまったくの見落としだということが、文面全体からもすぐ分かりました。こちらこそ失礼しました。どうぞこれからもよろしくお付き合いください。Sさんの他にも、たくさんの良い仲間がいますので。
佐々木先生の学問的業績について
理解する力を、残念ながら持っていません。
ただ、先生が七転八倒しながら
新しい「言葉」を生み出そうとする姿・・
深く、心より尊敬しています。
日本語になく、スペイン語にない・・
Sさんも、です。
梁塵