大熊に行く前に、明日美子がボランティアで手伝いをする福祉会館に寄ってみた。もとの、というより私が通っていたころの高校の跡地にある会館である。明日の午後三時から、いまアメリカの姉妹都市 (どこか忘れたが) から高校生五、六人と引率の先生が来ており、そのオープニング・パーティーに通訳を頼まれたので、念のため会場を見せたのである。依頼主はある先輩の奥様、というより私自身が高校生のとき、バッパさんが長期入院の際、毎日寄って食事をいただいた家のお嬢さんなので断りきれず、引き受けた仕事である。美子はそういう決まりごとの世界 (?) から長らく遠ざかっていたので、ちょっとしり込みしているのだが、ボランティアで責任がないお手伝いなので、社会復帰のリハビリのためにも気楽にやるように勧めている。
大熊の義母は行ったときはベッドに寝ていた。別段具合悪いというのではなさそうだ。いつもの通り、東京の敦子からケータイをかけたもらった。そのとき冷たい麦茶をコップに入れてケアの女の人が入ってきた。前回からなんとなく気になっていた人だが、彼女を見て義母が回らぬ舌でとつぜん「この人に大変世話になっている」と言う。気になっていたというのは、他のケアの人と明らかに雰囲気が違うからである。つまり挨拶や物腰が極端なまでに丁寧というか腰が低いというか。それもいやらしいのではない。どんなに徳を積んだ修道女もかなわない心からの謙遜な態度を豪も崩さないのである。たとえは悪いが、何か大変な不幸を越えて、こうして働いていることが嬉しくて嬉しくて仕方がないというような雰囲気を漂わせているのだ。かなわないなー、と思う。こういう人もいるんだ、それが義母にもはっきり感じられるのだ、と思った。
今朝の「福島民報」紙に三週間置きに六回ほど連載するその第一回目の文章が小さな顔写真と一緒に出た。ホームページのアドレスも文中に入れておいたのだが、朝六時近く、女の人の名前で「私は一年前からスペイン語の勉強をしています」というメールがあり、もしかするとさらに読者からメールが入るかな、と思っていたら、それ一通だけ。福島県ではまだインターネットをする人がそれほどいないのかも。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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