マリアの誕生日

美子の幼友達のKさんと川口の娘からプレゼントが届いて、あっと気がついた。そうだ、今日は美子の68回目の誕生日だった! 十和田の方もここ数日ばっぱさんの入院その他でどたばたしていたし、私は私で美子自身のことであたふたしていたので、つい忘れていた。
 12月8日は開戦記念日だが、カトリック信者にとっては別の意味での記念日というか祝日である。聖母マリアの無原罪の御宿りの祝日。無原罪と聞くと、あゝそれは人祖の罪を背負わないで誕生した神の子キリスト、つまり無原罪はキリストのことを言っているのだ、と間違われやすいが、そうではない。つまりマリア自身がその存在の最初(母アンナの胎内に宿った時)から原罪を免れていたという意味である。
 この聖母の無原罪懐胎説は19世紀に至るまでカトリック教会内においても正式に教義決定されてはおらず、ギリシャ正教会はこれを異端的な考え方であるとして否定している。まあ教会から距離を置いている今の私にとって、はっきり言ってどうでもいいことだが。ついでに言うと、聖母にはもう一つ大きな祝日がある。聖母の被昇天(ひしょうてん)の祝日である。これは、聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという信仰、あるいはその出来事を記念する祝日(8月15日)で、1950年、当時のローマ教皇ピオ12世によって正式に教義として宣言された。
 つまり開戦記念日も終戦記念日も、ともにマリアの祝日なのだ。開戦記念日がマリアの祝日だというので、戦時中、今次の戦争は聖戦であると言いふらした馬鹿な信者もいたということである。どちらかというと、プロテスタントに比べてカトリックは戦争責任についての反省意識が希薄であり、私にも一時期、真剣にそのことを考えたことがあったが、いまの私にとってはこれもどうでもいいことに成り下がっている。簡単に言えば、いずれそのツケは彼ら自身の上に回ってくるであろうと突き放して考えているからだ。
 いやそんなことより68歳になった美子だが、いよいよ歩行が困難になってきて、要介護認定のための主治医の検診も、クリニックに行くことが出来ず、昨日その石原医師と看護師さんに家に来ていただいた。今後いろいろお世話いただくことになりそうだ。旧棟の夫婦の居間に入る真際、あっ中学生のときにばっぱさんに呼ばれてここに来たことがあると石原さんが言う。そう、彼はばっぱさんの教え子なのだ。
 今日の午後は夫婦で羽生歯科医に行くはずだったが、今月は私だけ受診することにした。また受診の際に、自宅での美子の歯のケアをどうするか教えてください、と電話したのだが、その時、思いがけない依頼を受けた。つまり羽生医師のお母様がいろんな人に差し上げるため『原発禍を生きる』を20冊購入したので、ついてはそれへのサインを、とのこと。ええっ、20冊も買われた!
 今日、受診のあと若先生が美子の歯のケアについて懇切に教えてくださった後、なんと初めてお会いする老先生が段ボールに入れた20冊を待合室に持ってこられた。正直言うと、2冊の聞き違いでは、とどこかで疑いながら、それでも一応その20人の方々のため、これまで出た新聞記事や書評などそれぞれ茶封筒に入れて用意して行ったのだが、幸いムダにはならなかった。その封筒の中には、例の「原発難民行進曲」の歌詞も入れておいたが、もしかして今年の忘年会などで、その方々が替え歌を披露して下さり、やがてそれが相馬・双葉地方(相双地区と言う)の処々方々に広がって行けば、などと調子のいいことを考えている。
 いやそんなことより、美子である。夫婦ともどもキリスト教から、教会から遠く離れて生活しているが、キリストもマリアも嫌いではない。いや好きである。これからどう付き合っていくか、まだそのスタンスを決めかねているが、偉い人たちだと思っている。美子とは誕生日繋がりで深い関係があるそのマリアさんに、どうか美子のことを頼みます、いまの歩行困難が一時的なものでありますようどうぞ助けてください、などと虫がいいお願いをする気になっている(そんな自分がいる)。さてその我が家のマリアは(美子の霊名は、マリア出現で有名なルルドのマリア・ベルナデットである)、今晩は珍しく早めに寝て、いま隣りの部屋で安らかな寝息を立てている。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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マリアの誕生日 への3件のフィードバック

  1. 松下 伸 のコメント:

    今まで、要介護申請をされていなかったのですね・・
    先生の不器用にさえ見える、
    その心を
    尊く思い、心より敬う者です。
    役所の人間が利いたような顔で言う、
    「自助・共助・公助」などではありません。
    ことばにするのは難しいですが
    「理」を「想う」でしょうか・・?

    12月8日。
    奥様お誕生日、おめでとうございます。
    聖母マリアと同じ・・
    マリア信仰。
    思う所が多くあり、心に留めておきます。
    先生、奥様はじめ、ブログの皆様との
    不思議なご縁に教えて頂くこと多く、
    うれしく思っております。

    眼が少し辛くなりました。
    残念ですが、欠席が多くなりそうです。
    でも想いはどんどん膨らんでます。

                       塵(慕聖徳)

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    ありがとうございます。お眼を悪くしていると辛いですね。どうぞ一日も早く快癒なさいますように。

  3. 松下 伸 のコメント:

    皆様へ
    余計なことを書いたため、
    ご心配おかけしました。
    大丈夫です。
    眼に勤労感謝の時間をやるつもりです。

    澤井さま
    ( )の中。たいした意味はありません。
    知っている漢字を並べただけです。
    「愚中極愚、塵禿有情」
    こんなのも面白いですね。
    小生にピッタリ。
    でもなんと、これ最澄の願文なのです。
    畏れ多い「塵」でした。

                   塵禿無常

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