『人民中国』への投稿


 昨年11月、大連で息子と結婚した嫁の滞日ビザがこの5月思いがけなく不交付となったので、彼女を元気付け、合わせて撫順近郊の実家のご両親に挨拶するため、夫婦で4泊5日の旅を終え先日帰国したところです。実は私自身、戦前2歳から6歳まで河北省ランペイ(ここでは文字化けするのでカタカナにしました)にいたことがあり、今回の結婚は33歳の若さで中国の土となった(病死)父の引き合わせと思えてなりません。
 そんな意味で、最近の中日関係の悪化に胸を痛めておりましたので、貴誌7月号掲載の「『情』は最良の潤滑油」を、多大の共感を持って読ませていただきました。今回の旅でも、結局私たち夫婦が得た最大の成果は、向こうの方々と誓った永久の友情と相互信頼にほかなりません。
 なお今回のごく私的な旅行記を私のホームページに連載しています。興味のある方にご覧いただければ嬉しいです。
 貴誌のますますのご活躍とご発展をお祈りしつつ。

2005年7月3日

上の短文は、『人民中国』10月号の読者欄「窓」に掲載されたものの原稿です。実物はまだ手元に届いていないのですが、今日北京の人民中国雑誌社から採用通知がきました。息子の嫁に読ませたかったので、「続・モノディアロゴス」の場所を借りました。ところでこのところサボっていて申し訳ありません。ご賢察のとおり、嫁の滞在許可証がまだ交付されず、このところ落ち着かない日々を送っていたからです。当事者の二人はもっと苦しいでしょうが、親の私たちも待ちくたびれました。いいかげん交付してもらいたいものです。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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