部落挙げての結婚式

たぶん今ごろは無事結婚式が終わったころだろう(昨年11月末のは単なる入籍手続きだった)。20軒に満たない部落にしては、最近に無いビッグイベントだったはずだ。15キロばかり離れたところに住む若い叔父さんが、もと人民解放軍兵士の経験を生かして、てきぱきと進行役を務めたにちがいない。
 本来なら私たち夫婦も、息子たちの式日程に合わせて訪中すればよかったのかも知れないが、可哀相に来日が延びてしまった穎美をとりあえず元気付けようと、もたもたしている息子とは別個に旅行日程を決めたあと、息子が何とか勤め先と交渉して訪中を決めたのだから仕方がなかった。
 息子が成田を立つ前夜、穎美とのいつもの通話の最後に、明日からこちらからは電話をしないこと、息子が日本に帰った夜からまた電話を再開する、と穎美に告げた。どうして、といぶかる彼女に、ママとも相談したのだが、今回の息子の訪中は事実上の新婚旅行なのだから、その旅行中に親が電話であろうとお邪魔するのはおかしいでしょう、といったら納得してくれた。
 それでも気にはなるので、ネットで天気予報を見てみる。今日も明日も大連は曇り時々雨とある。しかし撫順は内陸部だから、むしろ長春の方が近いか。長春は今日も明日も晴れである。すこし安心する。実家のあるところは、ちょっとの雨でも道が無くなり、部落内も泥んこになるところだからである。
 大連からは仲の良い女友だち一人と、弟が同行してるはず。このあいだ弟にお土産として上げたデジカメはまだ使い慣れしてないかも知れないが、家にフイルム式のカメラが1台あるはず。だから彼が式の経過を写してくれているだろう。ところで妹の結婚式のDVDを見たが、普通の結婚衣裳だったから、穎美の場合もたぶんそうなんだろう。でも先日、夜遅くまで大きな声で式次第を熱心に論じていた父親と叔父のことだから、それに誰の司式というわけでもないのだから、どこかに満族特有の風習を織り込んだに違いない。
 とここまで書いて隣町のスペイン語教室に行って、先ほど帰ってきた。留守電に式の無事終了を報告する嬉しそうな息子の声と、「パパとママに会いたい」という、穎美の珍しく甘えた声が入っていた。こうなればこちらからも掛けるしかあるまい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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