午後一時半、美子と敦子を連れて雨の中、小高に向かう。月一度の「島尾敏雄を読む会」のためである。もちろん、美子と敦子は、その間、展示室や図書館で待ってもらうことにした。
 会には、台風接近の中、五名ほど(全員男性)が来た。二番目のテキストとして『いなかぶり』を選んでいたのだが、話の流れで、予定を早め今日からこの作品を取り上げることにした。小高を舞台とする作品は、この他に『砂嘴の丘にて』があるが、島尾作品世界を地元から読み返す絶好の機会となりそうだ。これらの作品の中で頻繁に使われる相馬弁や、植物や動物の名前などを手がかりに面白い読み方が出来そうだ。
 一人の参加者は、『砂嘴の丘にて』に出てくる折笠先生のことや、その舞台となった海岸など地形的にも特定できそうとのことなので、ぜひそれについてまとめてほしいとお願いした。ともかく、どんな読者にもできない地元からの視点でこれらの作品について、一種の共同研究をしてみようではないか、と提案した。みんな乗り気のようだ。出来ればそれらをワープロなどでまとめてみたいと思っている。
 台風は幸い逸れて宮城県の方に進んだらしく、さほど強くない雨の中、帰りは旧国道ではなく六号線を帰ってきた。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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