イラク戦争やアフガニスタン紛争帰還兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)が問題になっている。それがあってか、昔の軍事訓練は限りなく実戦に近い状況で行われたが、最近ではできるだけ実戦から離れた形で、つまり限りなくテレビゲームに近い形で行われているそうだ。
そりゃそうだろう、まともな人間なら、標的の敵兵が自分と同じ人間で、家族もおり、かけがえの無い過去も夢ふくらむも未来を持つ若者だと一瞬でも考えたら引き金など引いたりできないであろうからだ。
原発立案者、推進者だって、万が一事故が起こった際の被災者の具体的なイメージがあったとしたら、簡単に安全神話など作れなかったはずだし、実際の事故が起こってしまった今なら、なおさら恥ずかしくて原発の安全など口にはできないはずだ。それができるというのは、昨夜も言ったとおり、彼らの思考回路にいくつか大きな綻び、もっと正確に言えば想像力の欠如があるとしか考えられない。
毎度のように話はとつぜん変わるが、このところ時おり黄ばんだ紙の古い文庫本を読んでいる。『牧水紀行文集』(改造文庫、昭和14年10月29日発行、十五版)である。月日まで入れたのは、その年の八月に私がこの世に生を享けたからだ。表紙は購入後、深い空色の(これなんとか適当な色の名前があるんでしょうな、藍?そう藍色である)布で装丁し直している。
誰かの蔵書印を消して、その上に自分の印を押しているので、古本で購入したものであろう。既にそのあたりの記憶は消えている。ともかくその古色蒼然たるページをぱらぱらとめくってたまたま読んだ「山上湖へ」という文章の清冽な感動に自分でもびっくりしたのだ。牧水が大正八年五月三十一日から六月三日まで、伊香保から榛名富士まで独り登っていく様を書いたものだが、テレビなどの映像を見るときとはまた違った臨場感に驚嘆した。
もちろん実際に自分が歩いて登る時の感動には比べられないとは思うが、それでも色褪せたページを、それほど鮮明でもない活字を追いながらゆっくり読んでいくときの感覚は、デジタル体験とは比較にならないほど人間的な体験である。つまり視覚だけでなく触覚そして嗅覚までも動員しての体験だからであろう。いま流行の、小さな画面の上でめくる真似をするとページが変わるスマホ(でしたっけ?)では味わえない感動のはずだ。
簡単に言えば、人間が純粋な霊的存在ならいざ知らず、スマホであれこれから作り出されるであろうさらに便利な機器であれ、それらを利用することに文句をつけるつもりなど無いのだが、いかんせん、というべきか、有難いことに、と言うべきか、人間は立派に肉体的存在でも(?)あることを忘れてはいけない。そしてどんなに時代が進んでも、この人間の基本的条件は絶対に変わりようがないのである。だとすれば、かつてないほどのスピードで便利になっていく世の動きに、よほどの警戒が必要のはずだ。
つまり昨年の原発事故だけでなく、数日前の竜巻によってさえ、人間は一瞬のうちに電気もガスもない、つまりその意味では数万年か前の原始人同様の生的状況に逆戻りさせられる存在である。古来、そうした肉体的条件やら限界からなんとか離脱しようとして、産業革命において劇的に見られるように水力・熱力・風力を用いて、人間は空を飛ぶことさえできるようになった。ついで電力、そして遂には原子力までも。
けれどもう一度念を押しておく。人間が肉体的存在であること、その寿命もいくら延長しても高々百年をちょっと超えるだけ。そして必ず死を迎えなければならない存在だということ。かつてヨーロッパでは、メメント・モリ(死を覚悟せよ)が叫ばれた時代があった。日本中世にも同様の運動があった。
しかし戦争に拠る大量死、自然災害に拠るこれまた多数の死が存在するにも拘らず、不思議なことに死は努めて考慮の外に置かれ、代わってまるで不老不死が約束されてでもいるかのように、生活の利便や快適さが人々の目や意識を死から逸らせようと躍起になっている時代、それが現代である。
便利さを全部捨てよなどと言っているわけではない、現にこのモノディアロゴスだって、コンピュータやインターネットという便利な機械や仕組みの恩恵あってこそのものである。しかし時に古びた活字本をじっくり味わうなどして、人間らしい感覚を取り戻すことを各自それぞれの流儀で工夫しなければならない(ここで暗にモノディアロゴスも私家本で読んで、と宣伝しているわけだ)。そんな意味で、伊東静雄の次の詩などいつ読んでも感動を新たにする名詩である。飛ばずに全路を歩いてくる秧鶏に幸あれ!
秧鶏(くいな)は飛ばずに全路を歩いて来る
秧鶏のゆく道の上に
匂いのいい朝風は要らない
レース雲もいらない霧がためらっているので
厨房(くりや)のやうに温くいことが知れた
栗の倭林を宿にした夜は
反(そり)落葉にたまった美しい露を
秧鶏はね酒にして呑んでしまふ波のとほい 白っぽい湖辺で
そ処(こ)がいかにもアット・ホームな雁と
道づれになるのを秧鶏は好かない
強ひるやうに哀れげな昔語(がたり)は
ちぐはぐな合槌できくのは骨折れるのでまもなく秧鶏は僕の庭にくるだろう
そして この伝記作者を残して
来るときのやうに去るだろう
(伊東静雄『わがひとに与ふる哀歌』より)
【息子追記】立野正裕先生(明治大学名誉教授)からいただいたお言葉を転載する(2021年4月14日記)。
秧鶏をくいなと読めなかった物知らずにもかかわらず、伊東静雄の詩集を愛読してきたつもりになっていました。『わがひとに与ふる哀歌』所収の「秧鶏は飛ばずに全路を歩いて来る」は題からして素晴らしい詩ですが、この詩集の「四月の風」もいいですね。
私は窓のところに坐つて
外に四月の風の吹いてゐるのを見る
私は思ひ出す いろんな地方の町々で
私が識つた多くの孤児の中学生のことを
という冒頭の数行がなんとも言えずいい。自らをあえて孤児になぞらえて四月の風のように自由を意識しようとする少年期の気負い。啄木の「不来方のお城の草に寝転びて空に吸はれし十五の心」にも通う気負い、そして憧憬。授業中に教室の窓から飛び出してこずかた城(盛岡城)の石垣をよじ登り、そこから岩手山を眺めるのが啄木は好きだったそうです。
伊東静雄にもそれに類する遠い思い出があったと思われます。
行路社版『モノディアロゴス』2002年7月22日の「記憶の修復」の中で先生がこんな事を言ってます。「トルストイも、晩年にいたってふと気がつく。(中略)人生はその時水平でなく垂直に生きるものとなる。広げるのではなく掘り下げるものとして現れる」。人間にとって永遠に変わらない価値は、世上の広がりではなく、高さ深さの次元にあるように私は思います。確かに現代は「かつてないほどのスピードで便利になっていく世の動き」、「生活の利便や快適さ」、しかし、人間の本来の生き方、生きるべき在り方、人間の幸せは、先生の言われるようにトルストイの気付きの中にこそあるように思います。