沸騰したんだぜぇー

瞬間湯沸かし器が久しぶりに作動した。ことの発端は明日のことについてデイ・サービスに連絡しているときだった。
 実は美子は、しばらく前から右足の踵内側のところに直径3センチ大の褥瘡(じょくそう)ができ、それがなかなか直らず、クリニックの石原医師に先日往診してもらい、ともかく乾燥させることが先決ということで、スポンジ状のものを当てがってもらった。一昨日の訪問入浴の際かなり良くなっているとの報告があったが(そのとき私には来客があったので直接見たわけではない)、クリニックの方からは一応明日デイ・サービスの帰りに寄るよう指示されたわけだ。
 そのことをデイ・サービスにお願いしようと連絡したのだが、デイ・サービスの送り迎えは原則的にはご自宅からご自宅となっているのですが、というのが応対に出た女の子の答えである。ちょっと待ってください、こちらはなにも帰りに親戚の家に寄って欲しいとかスーパーに寄って欲しいなどと頼んでるわけじゃないんですよ。つまり先日来、デイ・サービスの方でも家内の足のことを気遣ってくださっていたが、その治療のために、自宅ではなく、家からそう離れていないクリニックに家内を降ろしてくれないか、と頼んでいるんですよ。もちろん私は先に行って待っていますし、治療後は私の車で帰宅します…つまりですね、考えてもみてください、私の家の玄関先で家内を降ろし、そしてまた私の車に載せ換えるなんて面倒なことをしないで…
 そう話していくうちにどんどん温度が上がっていき、もう少しで沸点に達しそうになる。つまりですな、原則論を振り回すのは、あなたそれは役所や日本郵便(おや、こんなところに顔を出したよ)と同じじゃありませんか。お宅は介護サービスの会社とちゃうの? あのね、いいこと教えましょう、本当に喜ばれ有難がられること、介護を受ける人の心を温かーく感謝の気持ちにさせるのは、点数で数えることなんぞできないということですよ。
 たぶん貴女は、例外を認めると、送り迎え担当のだれだれさんに恨まれたり、あるいは上司になんでそんな余計なことを引き受けたんだ、と叱られるかもと思ったかも知れない。ところがですよー、本当の介護の精神が生きてくるのはまさにそこからなんだぜぇー、スギちゃんじゃないけど、そこからがほんとにワイルドなんだぜぇー。
 いや最後はほとんど言葉にならないくらい沸騰してたので、スギちゃんの真似などする余裕はありませんでした。でも私の言ってること、無理難題だと思います? なにも町外れまで送り届けてなんて言ってるんじゃありませんよ。治療のあいだ待っててくれなんて頼んでるんでもありませんよ。ただ家の前に降ろす代わりに、そこから数百メートル先のクリニックの前で降ろしてくれと頼んでるだけなんですよ。
 あんたんとこ、運転代行の会社なん? 違うでしょー、介護サービスの会社でしょー? だったらもう少し人間的な判断できるようにしてー。確かに点数化されないサービスだから、儲けにはなりません。でも自分は人から有難がられ、頼りにされる立派な仕事人だっちゅー誇りが湧いてきまっせ。
 もう一度だけ言わせてもらいます。点数化されない余白、襠(まち)、糊しろこそが介護の精神の生きる場所なんすよ、いや本当に。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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沸騰したんだぜぇー への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     『モノディアロゴスⅡ』2004年4月27日「良心より社命」の中で先生はこう言われてます。「個人より全体を、と見様によってはまことに見上げた精神も、自分の良心を抑えて強いものにつく、なんとも情けない付和雷同性の表れなのである」と言って、2012年4月17日「襠(まち)の無い社会」の最後で「すべてが、個人ではなく組織や社会という全体が決していく世界なのだ」と結論付けられています。介護問題は、高齢化社会に伴う日本全体の問題で私たち一人ひとりが真摯に受け止め、熟慮し、実践しなければなりません。実際に私も母の介護で悪戦苦闘していて、今日の先生の言われていることは理解出来ます。介護は理屈ではありません。「点数化されない余白、襠(まち)、糊しろこそが介護の精神」だと思います。先生の『病室から』の中で私が傍線を入れた箇所があります。「過去にそれこそ言うに言われぬ、たとえば九死に一生を得るような試練の果てに介護士になっている、だから人のために働けることが嬉しくてたまらない(中略)結局は、介護士になる人、現に介護士である人の自覚に帰着することかも知れません」。そして、この自覚とは人生の様々な試練に立ち向かい、決して逃げずに、自分の「良心」に従って生きて来たから生まれるものなのかもしれません。

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