夏風邪奮闘記

風邪は洟から咳に変わった。一昨夜などはとうとう一睡もできなかった。さすがに我慢できず、昨日美子の褥瘡治療の前に、先日の精密検査の結果を聞きがてら診察してもらった。一年に一度の精密検査の方は、レントゲン、心電図、尿などすべて問題がないらしく、それはそれで一安心だったが、風邪の方も聴診器を当てて呼吸器官の検査、血圧を調べてもらったが、やはり夏風邪だった。でも、たかが夏風邪、されど夏風邪である。
 昨夜は一睡もできなかったという当方の泣き言に同情したのか、錠剤三種類、咳止めシロップ三種類の混合剤と、合計7種類の薬を処方してもらったことになる。昨夜はその効果があったのか、何度か咳で目が覚めたが、それでも八割がたは寝れたのではないか。しかしついにどっと疲れが出たのか、それとも薬が効きすぎたのか、今日の昼前、食欲が完全に減退していることに気づいた。それで頴美に頼んで、ともかく少しでも食べれるものをごく少量所望したところ、リンゴを丸ごとシロップ漬けにしたものやら、このところ急に好きになったスイカ二切れ、他にゆで卵を輪切りにしたものなどを出してくれた。だが卵にはとうとう箸をつけることができなかった。これほどまでの食欲減退はこれまで一度も経験したことがない。
 夏風邪とはこういうものだったのだろうか。咳といっても喉が痛むわけでも痰がからむでもない。だだ眠りに入ろうとする矢先、急に咳が出て止めようがないのである。ただただ体力消耗が進むようで、打つ手がなく腹立たしいばかり。
 でも夢うつつ、半覚半睡の中で面白い体験もした。いやその前に、この「半覚半睡」などという言葉は辞書にはない。以前どこかに書いたような気もするが、私の新造語である。未来永劫にわたって辞書に収録されることはないと思うが、我ながらいい表現ではないか、と思っている。よかったらどうぞお使い下さい。ところでその面白い体験とは?
 咳が出ないようにと願いながら眠りに入ろうとするとき、自分で出してるはずもない不思議な音が喉元から聞こえてくる。ときにそれは遠くから聞こえてくる悲鳴のようでもあり、ときにそれは小川で氷を割って流れだす春の先駆けの水音のようでもある。重症の結核患者だったら喀血直前の痛ましい音にも聞こえるだろう(クワバラクワバラ!)。
 自分ではコントロールできない音なので、半覚半睡の中でいつのまにか楽しんだりしている(いや、それは無理ムリ!)。今日の明け方、その音は隣室から聞こえてくる話し声にも聞きなせた。それも複数の話し声に。ここでその声は一瞬美子のそれかと思わせる声に変わった、などと作り話でもすると、自分も、またそれを読む他の人も、ホロリとさせられるかも知れないが、まさか私もそこまであざとくはありません。
 でも思いがけないときに話し声が聞こえてくるという現象は他にもある。たとえばインディーズ制作のCDなど聞いていると、音楽の合間に聞こえるか聞こえないかの小さな音ではあるが明らかに人の声らしきものが聞こえることがある。たぶんオペレーター(というのかな?)かだれかの「あゝそこ」なんていう指図を器械が拾ったのかも分からない。
 あれっ、何をつまらないことを書いるんだろう。とにかく鬼の霍乱とまでは行かないが、原発事故後の大変な時にも、エアコンもない酷暑の中でも風邪を引いてこなかったのに、ここにきてのこの体たらく、自分で自分に腹が立ってるわけです。夕食前、近くのスーパーで「アリナミン ゼロ7」という今まで買ったこともない安いドリンク剤を3本ほど買ってきました。ほんの気休めにしかならないでしょうが。
 そう夏風邪なんてほんとは気のせいかも。試しに今晩は薬を飲まずに寝るつもり。明日から、いや今から元気なったつもりで頑張ります。


【息子追記】立野正裕先生(明治大学名誉教授)との他所でのコメントのやり取りを転載する(2021年4月17日記)。

いま思えばほんとうに予兆のようにも感じられ、読むほどに切なくなってきます。

Jun Sasaki
今思えば驚異的に強い意志で心身の健全を保っていました。もっと気づき、いたわってこなかったことを後悔しています。父の気丈な言葉が返ってくると、それで安心していたのです。

ところで、先生がここでも使われている「半覚半睡」なる新語ですが、わたしは学生のころに埴谷雄高のエッセイのなかで見たことがあります。埴谷さんは自分が最も好む状態は朝の「半覚半睡」にある意識であると、たびたび書いています。あるアンケートにも同じことを記していたと思います。
のちに佐々木先生が埴谷さんのことを書いておられるのを読んで、偶然の一致とも思われず、不思議な暗合のように感じられたことでした。埴谷さんの著作はすべて岩手にあるので確かめるのがいまちょっと困難ですが、昨年『虚空』を読み直す必要があり、よっぽど岩手に一時帰省しようかと思ったくらいです。

Jun Sasaki
先生、貴重なご指摘に感謝いたします。もしかして父は埴谷さんの作品に魅了され、その言葉を無意識に自分の作り出したものと錯覚した可能性がありますね。真偽はどうであれ、素敵なことですね。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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夏風邪奮闘記 への1件のコメント

  1. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    エトワールさん
    いつものように懇切丁寧なコメントありがとう。昨夜も今朝も風邪薬は止めて、代わりにアリナミンを飲みました。そのせいあってかどうかは分かりませんが、食欲も戻ってきて少し調子が出てきたようです。ともあれご心配していただきありがとう。

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