ヘンシーン

この三日ほど虫になっていた。いや一つちょっと不愉快なことはあったが、虫になったのはそのためではない。カフカの『変身』を真剣に読んだためである。たしかむかし一度読んだはずである。しかし綺麗に忘れていた。
 読んだのは今時の「新訳」ではない。黄ばんで印刷も不鮮明な角川文庫(中井正文訳、1955年、8刷)である。訳者については巻末の紹介以外良くは知らないが、なかなかいい訳だと思う。巻末の解説は内容をまとめただけのつまらぬものだが、訳文は旧仮名、しかも漢字はすべて正字で、そのせいかどうかは知らぬが、作品世界の中にある種の緊張感をもって入っていけた。
 自分もいわゆる「新訳」の片棒を担ぎそうになっている(例のオルテガ『大衆の反逆』の訳は終わってはいるが、出版社との交渉は原発事故以後、途絶したままであり、こちらから働きかける気はない)ので、大きな口は利けないが、初めて世に出た翻訳は、たしかにぎこちなかったり分かりにくかったりはするが、しかし初めて日本語になるという緊張感があって、その新鮮さに感動すら覚える。
 二番手、三番手、そして新訳となると、確かに「こなれた」日本語になってはいるが一番手にはあった瑞々しさのようなものが消えている。つまり初めから日本語で書かれたような抵抗感の無さが感じられる。もっと正確に言うと、つるんと滑らかに胃袋に、いや頭に入ってくる。先日も話題にした推理小説専門の雑誌では、一時期まで訳文のぎこちなさのために犯人探しそのものに支障をきたしたが、いつの頃からか訳文が分かりやすくなって、犯人探しのスピード感が増したような気がした。
 いや推理小説ならそれも、その方が、いいかも知れない。しかし文化も伝統も、生活習慣も違い、それなりにものの考え方や感じ方が違う外国の小説など、あまりに「こなれて」「ツルンとした」訳文では、匂いや肌触り・舌触りのような微妙な感触がかえって失われてしまうのでは、と思わないでもない(と曖昧・無難な表現にとどめておく)。
 『変身』に戻る。こんな短い小説を読了するのに三日もかかってしまったが、しかし断続的ながら途中で止めずに最後まで読み続けられたのは、簡単に言えば面白かったからだ。いつのまにか身につまされ、そればかりか自分自身がグレゴオル・ザムザになったような気がしてきたのだ。
 いま「身につまされた」と言ったが、じっさいにこの小説を20世紀文学の一大傑作だとか実存主義小説のはしりだなどといったいわゆる文学史的な、いやもっと広く文学的な、読み方さえしなかった。いつの間にか我がことのように読んでしまったのである。だんだんこの虫が可哀相に、というより可愛く思えてきた。父親や、母親や、それよりもっと妹に可愛がってほしかった。
 だから最後、静かに息を引き取ったとき、思わず涙が出そうになった。だから家族がこの奇妙な虫との生活から開放されて、晴れ晴れとした気持ちでそろって郊外に行楽に出かける最後の場面には怒りさえ覚えた。冷たいなー。大事な兄ちゃんが哀れ無残な死を迎えたというのに、あっそう、そんなに自分たちの快適な生活が大事なんだ。ぽっかり大きな穴が開いたような喪失感に襲われないんだろうか。
 確かに意志の疎通もままならぬ虫との生活は、食事の世話、排泄物の始末、その他で気軽に旅行にも出かけられないなど不自由な生活かも知れない。でも家の美子がそうであるように、ただそこにいるだけで不思議な安らぎを、いつの間にかいわく言いがたい生活上の張りを感じるようになりますよ。でも兄ちゃんが虫になってしまったなら、妹の結婚相手もなかなか見つからないだろうし、美子にときどきしてやれるような頬擦りさえできないんだろうし…
 でも待てよ、この結末はグレゴオルの、つまり作者カフカの、家族へのせめてもの夢を、つまり自分の死後、家族がこのように幸福に暮らしてください、との祈るような願いがこめられているのでは…あゝそれなら分かる。あの死に行く醜い甲虫の頭蓋いっぱいに映し出された束の間の幻想だとしたら…
 でもこんな風な読み方で本を読んでいったら疲れるんじゃない? 本の中の現実にどんどん実際の現実が侵食されていって、ついには…ついには?
 でも実際の生活って何だろう?もしかすると、本当の現実と思っているものも、また夢だとしたら? 夢の中の夢? いいやどちらでも。願うのはただ、この一瞬一瞬が意味を持ち、充実すること。小さな幸福に喜び感謝しながら生きていくこと。たとえば今日、美子がお昼に頴美に手伝ってもらって大きなものを出してくれたことに深い安堵と幸せを感じること。そう私にとってこれこそがリアルな生なのだ!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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ヘンシーン への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     人間の幸福について時々考えることがあります。若い頃は自分中心に世の中が回ってくれることだと漠然と思っていたような気がします。しかし、思うように事が運ぶことはないとある日悟りました。また、思うように事が運ぶことが幸福ではないと学びました。自分の周りにいる人を幸せにすることが幸福なんだと思います。そして、「小さな幸福に喜び感謝して生きていくこと」が幸福になれる秘訣だと思います。

     こんなことを言ってた人がいました。

     ほんとうのやさしさとは、自分から与えるのでなく、相手が求めてきたときに、さりげなく示すもの。

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