くしゃみと風邪

アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひく、アメリカが風邪をひくと日本が肺炎を起こす。てなわけで、今回の大統領選挙の結果を、大変癪だけど気にしないではいられなかった。と言って両陣営の主張やら勢いを逐一追っていたわけではない。はっきり言って、ひたすらその結果だけを気にしていただけ。開票前は両者伯仲ということだったが、今日の昼過ぎのニュースでオバマ当確が伝えられた。
 まあ良かったんじゃない? 少なくとも貧困者やマイノリティーにとってはロムニーよりオバマの方がベターなんだろうし、メキシコなどからの不法移民の扱い方でもオバマの方が人道的だから。あと私が知っていることといえば、健康保険制度改革についてオバマの方が…それにしても、民間の保険会社が国民の半数以上を顧客にしているとか、かなりの人が経済的理由から保険に入っていないとかとなると、病めるアメリカという側面が浮かび上がってくる。チャールトン・ヘストンの全米ライフル協会(でしたっけ?)の強力な抵抗にあって銃規制がままならないのと同じ様な構図が、保険制度改革をも阻んでいるんでしょうなー。
 おっと不確かな情報しか知らないので、ボロを出す前にこれ以上アメリカについて放す、おっと話すのはやめましょう。ただ冒頭のくしゃみと風邪の話ではないが、ロムニー敗北が最近の日本の右傾化に、少し水を差すことになったのではないか、くらいのことはなんとなく分かる。対中強硬姿勢を打ち出している勢力には、すこし期待はずれだったのではないか。
 特に意識したわけではないが、蘇生術の対象が、今日はたまたま(本当に!)アメリカ論だった。つまり安岡章太郎さんの『アメリカ感情旅行』(岩波新書、1966年、第8刷)と『アメリカ夏象冬記』(中公新書、1969年)である。二冊とも安岡さんご本人からいただいたもので、表紙裏に安岡さんの大らかな書体のサインがある。かねがね安岡さんの文明批評は第一級の、というより他の追随を許さないものと思ってきたから、たとえ署名入りのものであろうと、変色したみすぼらしい姿のまま本棚の中に眠らせておくべきではない、と考え、この二冊にさらに『ソビエト感情旅行』(新潮ポケット・ライブラリ、1964年)を加えた三冊を合本にし、布で装丁することにした。
 ところが三冊とも新書版のはずだが大きさがまちまち。最後のものなど他の二冊より5ミリもチビなのだ。仕方ない、カッターで余分の部分を切り落とすことにした。こんなところで文句言っても始まらないが、日本の出版社諸君、文庫本なら文庫本、新書なら新書、紙幣並みとは言わないまでも大きさを揃えてもらえないだろうか。別に5ミリチビにしたって、お宅の個性が出るわけでもないんですから。そうそうついでにもう一つ。文庫や新書のてっぺん、あれ何ていいましたっけ? そう、天です、そこがフランス装の名残かガチャガチャになってるでしょ、あれを止めて、揃えて裁断してほしい。なぜかと言えば、本棚の中であの天のギザギザにゴミが溜まり、それが徐々に内部に汚れを染み込ませていくからだ。
 ところで安岡さんが『アメリカ感情旅行』を書いたのは、1960年の十一月から翌年五月まで、ロックフェラー財団の「留学生」として主にテネシー州ナッシュビルに滞在した折のことであり、『夏象冬記』の方は、それから八年後の再訪について書いたものである。小田実がフルブライト留学生体験をまとめた『何でも見てやろう』がベストセラーで騒がれた後の作品であるが、すでに代表作『海辺の光景』(1959年)を発表して作家として油の乗り切った時期のアメリカ体験ならではの、鋭い、しかも落ち着いた筆致のアメリカ論が展開されている。
 今回、上記二冊に、対象はソビエトながら同じ流れの一冊を加えて、なかなか読みごたえのある合本が出来上がった。時系列からすれば、ソビエト旅行は1963年のことなので、本当は真ん中にすべきでは、と迷ったが、今回は時系列より対象国繋がり重視の順序にした。
 とここまで書いてきて白状するのは心苦しいし、お嬢さんの治子さん(本当は安岡教授と書くべきだが)に知られたりすると恥ずかしいのだが、実はサイン入りの2冊も、ソビエト紀行も今までしっかり読んだことはなかったのだ。じゃ先ほどの文明批評家安岡章太郎の評価は外交辞令? いやいや飛ばし読みとスポット読みでも、先の評価が間違いないことは間違いありません。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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