このところ忙しい日々を送っている。インターネットを介しての人や本との新しい出会いがその主な内容である。今さら言うまでもなく、このモノディアロゴスからして、そのインターネットが無ければ存在し得なかった。文字通り、世界と瞬時に繋がる仕掛けで、これまでなら先に進もうと思っても途中で疲れたり忘れたりしたようなことも一瞬のうちに可能にしてくれるすこぶる便利な魔法の器械だ。
だから(とまた説教臭を帯びて申し訳ないが)いまどきの若いもんが狭い範囲の交友関係の中だけで、中には日に何時間もケータイやメールで時間をつぶしているのを見ると、情け無く、もったいなく、そして最後は腹が立ってくる。インターネットを賢く使えば、とてつもなく広い世界に繋がるのに、と思うからだ。私の若いころは、世界への窓口は町に数軒あった本屋さん(なんと今はたぶん一軒だけ)と映画館(現在ゼロ)だけだったのに(でも、だからこそ激しく知識に飢えていたのかも知れないが)。
私はずーっとネットを使って発信してきたが、いつも願ってきたことは若い世代が広く世界に心を開いて、そのついでに、たとえばですぞ、地元から一人の奇特な(?)爺さんが世界と交流しているようだ、ちょっとアクセスしてみよか、という若者が一人でも出てくればどんなに嬉しいことか。でもそんな中学生も高校生もいない。いるんだけど恥ずかしい? 何をおっしゃるウサギさん、思い切って声かけてみて、決して怪しい者じゃあーりませんぞなもし。
さてここからは繋がりはあるけれど、少し違う話になる。発端は先日写真家の鄭周河さんから、あっみなさん、今テイシュウカと読んだでしょ、でもテイシュウカという人はどこにもいなくて、いるのはチョン・ジュハさん、それはともかく彼からもらった名刺である。少し小振りの洒落た名刺だが、これがすべてハングル文字(いやメール・アドレスや名前などはアルファベット併記だけれど)。これが漢字表記だったら住所など何とか見当がつくが…
で、気になりだしたのだ。隣国の言葉なのに、ハングルについてはまったく知らないできたことを。辞書で調べてみると、「ハングル=大いなる文字の意で朝鮮固有の文字。1443年、李朝第4代世宗の命でつくられ、46年に<訓民正音>の名で公布。母音字11、子音字17を定め、これらの組み合わせで音節を表した。その後の音韻変化で、今は母音字10、子音字14からなっている。かつては諺文(おんもん)と卑称されたが今は言わない。北朝鮮ではチョソンクルと呼び、この24字に濁音5、複合母音11を加える」。なるほど、知らなかった。ひらがな・カタカナよりかは新しいが、それでも500年以上の歴史があるのだ。
ハングルは<かな>と同じ表音文字で、だから朝鮮語は日本語の場合と同じように、ハングルと漢字混交の文字表記かなと漠然と考えていたが、今はすべてハングルらしい。知らなかった。急いで調べてみると、1970年ころから漢字廃止の動きがあったらしい。素人考えからすると、中国、朝鮮、日本、あとはベトナム…まずい、知らない!、ともかく漢字文化圏であり、漢字さえ共通ならなんとか意志の疎通が可能なのに、と思ってしまうが、しかしそこには朝鮮語固有の問題があったのだろう。
それはともかく(この繋ぎの言葉ばっかりで申し訳ない)、チョン・ジュハさんの名刺をきっかけに、この歳になって急に朝鮮語辞典を買う気になったのである。朝鮮語の勉強を始める気になった? いやいやそれは無理、ただ少なくともハングル文字を見て、辞書が引けるぐらいは出来るようになりたいのだ。だいいちあと一月も経たないうちにハングルで書かれた『原発禍を生きる』ができるのです、悔しいじゃないですか、まるで楔形文字を前にするようなアンバイだったら。自分の名前がどこにあるかすら分からなかったら…それはもうヒョン・ジニさんや韓国の読者に申し訳ないし、それはもう悲劇、いや喜劇です。
そんなわけで、昨日アマゾンから安価で取り寄せたのが『ポケット・プログレッシブ韓日・日韓辞典』(小学館)。しかし手とって見て、しまった、と思ったのは、字が小さい、それに見出しがすべてハングル。小さいながら朝鮮語7万語以上あるので、将来(?)使えるようになったら便利。しかし今はもっと易しいものを。それで次に見つけたのが『パスポート朝鮮語小辞典』(白水社)である。見出し語すべてにカタカナが付いているそうだ。さっそく注文したが、さあしかし字の大きさまでは届いてみなきゃ分からない。まっいい、小さければ側の虫眼鏡を使うから。
ところで先の辞典と一緒に韓国現代詩に関する2冊も届いた。茨木のり子訳編の『韓国現代詩選』(花神社、1990年)と佐川亜紀著『韓国現代詩小論集』(土曜美術社出版販売、2000年)である。そして後者の中に、気になっていた或る詩人の或る詩の一節を探してみた。ユンドンジュ(尹東柱、1917-1945)の「序詩」のなかの「チュゴガヌンゴッ」を「生きとし生けるもの」と訳すか、それとも原語の直訳「「死にゆくもの」と訳すべきかの問題である。同志社大学キャンパスに建てられた詩碑の伊吹郷訳は前者である。
それぞれの言い分が書かれている。日本人の理解が容易になり、より普遍性を持たせるには日帝時代の作者の意図にこだわらない方がいい、というのが伊吹派だ。いろいろ難しい理屈があるのだろうが、私の考えは伊吹訳を取る考え方は、はっきり言えばとんでもない屁理屈。より普遍性を持たせる、だって? 偉そうな口叩くな!だ。本当の相互理解は、先ず相手の異質性を認め尊重すること以外にその出発点はない! つまりいきなり普遍を振りかざすのは愚論。すべては個から普遍への道をたどらなけければならない。そんな当たり前のことは、文化論や翻訳論以前の大前提だ! 最後に来て、ものすごく腹が立ってきた。このへんで止めておく。
※後記
ユン・ドンジュの訳詩をお見せしないことには拙文が分かりにくいことに気がついたので、以下に二通りの訳を紹介する。最初のものは伊吹郷訳、次はより原詩に忠実な上野潤訳である。
(1)死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹きさらされる。
(2)息絶える日まで天(そら)を仰ぎ
一点の恥の無きことを、
木の葉にそよぐ風にも
私は心痛めた。
星を詠う心で
全ての死に行くものを愛さねば
そして私に与えられた道を
歩み行かねばならない。
今夜も星が風に擦れている。
一九四一、十二、二〇
この二つの訳詩の違いのもう一つのポイントは「空」と「天」である。つまり原詩のハヌルは物理的な空ではなく、ユン・ドンジュの内面の信仰を指す「天」の意味なのだ。たとえば欧米の詩人のキリスト教的表現を勝手に汎神論的な日本語に移し変えるであろうか。そしてもちろん、最後の日付も省略すべきではないはずだ。
後記にある伊吹氏と上野氏の訳詩の違いを少し考えてみると、伊吹氏は作者が読者に向かって言っているのに対し、上野氏は作者が自分自身に向かって言っているように私は感じました。作者のユン・ドンジュ氏は1945年に獄中で亡くなられていて、この詩を書かれたのはほぼ3年前です。先生が指摘されているように、この詩の最後の日付は重要な意味があり省略すべきでないと思います。
先生の言われている「個から普遍へ」は普遍という意味の核心を突いていると思います。自分が自分に向かって言う言葉だから、そこには真摯さや誠実さ、そして真実の自分がいるんでしょう。『モノディアロゴス』に初めてコメントを書いた時に藤樹先生が万人の師になれたと感じたのもそこにあると改めて確信しました。