大衆小説のヒーローたち

このところサムライにはまっている。というより、もっと正確に言えば、日本の大衆がサムライの生き方のどこに惹かれてきたのか、に興味を持ち始めている。「大衆」なんて言葉を使うと、いかにも「少数者」で「知識人」が上から目線で「多数者」を見下しているような意味にとられそうだが…いや待てよ、そうでないとは言い切れないな。
 例えば文学というものに対して、これまでいわゆる純文学だけを読んできて、謂うところの大衆小説なんてものを端から馬鹿にしてきたことは否めない。そう、今回気になり出したのは、サムライに代表されるその大衆のヒーローたちなのだ。
 そのきっかけになったのは、スペインの出版社サトリが丹下左膳の翻訳出版を企画していると聞いたことである。さっそく社主のアルフォンソさんに、丹下左膳が相馬藩のサムライであることを知らせた。すると彼から、このところ相馬との不思議な縁を感じる、との返事があった。ところが私自身、林不忘の原作を持っていながらこれまで読んだことがなかった。これではまずいと、活字が大きくて読みやすい(最近眼がしょぼしょぼしてきたので)光文社文庫の四巻本をアマゾンから求めた。
 さあ、そこから迷走が始まったのである。つまりそれを読み終えないうちに、今度は虚構のヒーローではなく実在したヒーローたちに目が行ったのだ。遠い少年時代から折りに触れてその噂を聞いてきたあの巌流島の決闘の二人、佐々木小次郎と宮本武蔵が読みたくなった。
 ネット時代の物流の異常進化で、かつて大量に出版された大衆小説あるいは国民文学は信じられないほどの安値で購入できる。たとえば『宮本武蔵』など講談社の吉川英治歴史時代文庫8巻本が送料込みで2千円以下で手に入る。そして本を置くスペースに関しては、この陋屋、まだまだ余裕がある。
 サムライの実像を知りたい、というこれまで感じたことも無い衝動には、もう一つのきっかけがあったかも知れない。それは最近、「日本を取り戻そう」などという訳の分からない掛け声に代表される危険な復古調の世情に関して、それはちょっと違うんじゃないの、本物のサムライたちやヒーローはもっとまともな(?)人間たちのはずだがなあ、と確かめてみたい気持ちがあったからである。
 もっとはっきり言えば、そうした国民文学の巨匠たちが、もしかすると敗戦という事実をいちばん真っ当に受け止めたのではないか、つまり大衆という名で不当に軽視されている「普通の日本人」の魂で受け止め、内省してきたのではないか、との期待感が生れてきたのだ。例えば上記の作家たちと同じく、いわゆる大衆小説の書き手であった山田風太郎の『戦中派不戦日記』や大仏次郎の『敗戦日記』などもアマゾンから取り寄せた。その流れで司馬遼太郎・井上ひさしの『国家・宗教・日本人』も遅ればせながら読み始めたし、さらにはその司馬遼太郎の『竜馬がゆく』8巻本、そしてついには大仏次郎の『鞍馬天狗』もの5巻本までも注文したのである。
 なかでも竜馬に関しては、最近政治の世界、特に右翼思想の表明者たちにやたら評判がいいが、司馬遼太郎の思想からすればそれはちと誤読ではないか、との漠然たる予想があっての関心である。
 遠いメキシコで日本古武道に精進している新しい友人ダニエルの刺激もあってか、自分の中にももしかして少しは残っているかも知れない相馬のサムライの血を意識し始めたというのも、遅咲き・狂い咲きのようなものかも知れない。まっいいでしょ、それでなくとも最近の世相自体が大いに狂っているのだから。あっ、それではまずいのか、だって日頃のモットーはこの狂気の世でどこまで正気であり続けるかが肝要だ、と言って来たのだから。でもこの迷走はしばらく続きそうだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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大衆小説のヒーローたち への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生がしばしば言われている「この狂気の世でどこまで正気であり続けるか」を私も考えることがあります。「サムライ」という言葉から私が連想するものは切腹であり二言無しというニュアンスから覚悟が人間の根底にある(出来ている)人です。

     今の世の中を見渡すと何事もけじめがない、孟子の言葉を借りると「為さざる有る無し」という如何なる時にもこれだけはやらないという覚悟が全くないように思います。あれだけの原発事故を起こして、まだ終息していないにも拘らずコントロールされていると世界に断言してしまう一国の総理の発言に象徴されているんじゃないでしょうか。先生が「サムライにはまっている」と言われている意味も分かるような気がします。そして、先生こそ現代のサムライだと私は思います。

  2. 阿部修義 のコメント:

     「為さざる有る無し」と書きましたが「為さざる有るなり」です。世の中があまりに「為さざる有る無し」なので勘違いしてしまいました(笑)訂正させていただきます。

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