一ヶ月前から本ブログへの侵入者があるから注意、という警告がありましたが、どうしていいか分からず放置していたせいなのか、以前なら右のコメント欄へ返事が出来たのに、それがいまは出来なくなっています。すべて■(息子注: 管理人)任せで来ましたが、彼今の仕事が多忙で急場のお助けは出来ないようです。それで阿部さんへのお返事がこんな形なってしまいました。
実は数日前、大阪の或るカトリック教会の神父さんから、今度の九日間の祈り(ノベナ)の二回分に、私の「ソウル大統一平和研究所へのメッセージ」の文章を引用してもいいか、と問い合わせがありました。異存があろうはずもありません。不信心者の私の言葉が、祈りのために役立つなんて、光栄であるどころか恐れ多いことです。どういう文章が引用されるのか聞きそびれましたが(うろたえて)、平和や脱原発のためにお役に立てるなんて、恐縮至極、もったいないと思ってます。以上は阿部さんのありがたいコメントへのお返事でもあります。よろしくご理解ください。
佐々木 孝 について
佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
先生、ご返事ありがとうございます。先生の言われる「答えのない問い」という人生の大海原をモノディアロゴスを通じて生き方の羅針盤として今後も拝読していきます。日々のちょっとした空き時間に拝読していると何か生きていくための示唆を感じています。最近も読み返していてこんな文章に出合いました。「パースペクティブの誤り」(2002年9月9日)
「こと人間に関わる視点が、他のものを対象とするときと決定的に違うところがある。それはつまり人間に対しては【等身大】の視点しかないということだ。人間はたとえば標的のように【もの】として対象化できない。歴史を通じて臆面もなく続けられてきた、そして今も続けられている人間の人間に対するあらゆる不正は、まさに視点の錯誤、パースペクティブの誤りからくる。他者を等身大で見るためには、同じ平土間に立たなければならない。時にそれはまどろっこしく、また理解の届かぬところが常に残る。しかしこの視点からしか正しい他者理解の道が開かれないと覚悟すべきだ。」
梅雨明けでこれから当分猛暑が続きますが、先生、美子奥様のご健康を心からお祈り申し上げます。