1. 私の好きなことば (1977年)

 

私の好きなことば
 魂の奥底から発せられたすべての言葉 

佐々木孝

 「好きな言葉は?」と問われて、はたと当惑した。もちろん好きな言葉が無いわけではない。だがそれらは具体的な情景なり状況なりに結びついており、そこからその言葉だけを取り出すことは不可能である。たとえば薄暗い告解所での「ゴアンシンナサイ」という神父さんのやさしい言葉であったり、あるいは幼少期の体験と深くからみ合った「雪あかり」とか「夕焼け」、あるいは好きな作家が多用する独特な言い回しなどがそうである。
 しかしもし「好きな言葉」を「座右の銘」というふうに解釈するなら、今度は当惑ではなく悲哀を味わわなければならない。つまり己れの進むべき道、混沌とした生の多様性を一点に収斂する言葉をいまだに持たないことは、自分の姿勢が腰くだけである示しているからである。偉い人が万感の思いをこめて発したあらゆる「金言」は、いっとき私を鼓舞することはあっても、いつのまにか遠のいてしまい、それを口にすることに或る恥じらいを覚えてしまう。言葉はきわめて普遍的なものでありながら、同時にきわめて個別的なものである。作られたものでありながら、同時に、それを発するたびに作りあげなければならないもの。その意味でなら、私の好きな言葉は、魂の奥底から発せられたすべての言葉である。

(スペイン語スペイン文学科助教授)

 

『おとずれ』第45号(昭和52年7月20日)