11. いまだ書かれざる小説への序章 (1983年)



いまだ書かれざる小説へのプロローグ




ぼくが無選択に、例えば〈彼は窓から眺めていた〉とい文章を書きつけると、もうその文章は完璧なのである。  

カフカ「日記」

 

    
 いったい人はいつ序文を書くのか。字句通りに解釈するなら本文を書き出す前、しかし一般には(統計的に調べたわけではないが)たとえば小説の場合なら小説本体を書き終えてからのようだ。したがって空間的にはプロローグだが、時間的には、ウナムーノの言い回しを借りるなら、メタローグなのだ。跋文と区別するために後文とでも訳しておこうか。
 ともあれ、序文なんて大層なものは、その気になれば小説本体をゆうに越える分量の小説論を展開できる作家、方法論にきわめて意識的な作家、つまり古今東西の小説ならびに小説論に通暁したいわゆる文学者のなせる業という気がする。それだけでなく、たとえば埴谷雄高の『死霊』の場合のように、質の上から言っても小説本体にけっしてひけをとらぬ、ひょっとしてそれを凌駕するような密度の濃いものでなければ、序文の存在理由はないと言わなければならない。なくもがなの序文をつけたばっかりに、本体の方の出来ぐあいもそれに見合って値ぶみされるの愚は、賢明な者のすることではない。敬して遠ざけるにこしたことはないのだ。
 ましてや私の場合のように、本体の方の見通しすらまったく立っていないばかりか、本当に書くものがあるのかどうか、さらにあきれたことには、本当に書く気があるのかどうかさえ判然としないままに序文を書こうとすることなど、愚挙、暴挙を通りこして、それこそ狂気の沙汰であろう。たとえ書くという行為が、正真正銘の白紙=無に立ち向かうことであり、その意味で天地創造の瞬間の全能者の行為に匹敵するといっても、それは建て前であって、書き出すときにはだれしも、漠然としてであれ、すでに何らかの青写真を手にしているものだ。《思いつくままに》と一見無手勝流を装っている前記ウナムーノにしても、長編『霧』の序文(もちろん本文を書き終えて後の)を、自らの創造になる架空の人物ビクトル・ゴティに語らせるという、実に念の入った詐術を弄しているではないか。
 さもあらばあれ、ぶちまけたところを言えば、序文の役割、機能、効用などというのはこの際どうでもいいことで、こうして書き出したことの真意は、最近特にその密度を濃くしてきた霧の中から何とか抜け出せないかという、いわば悪あがきのようなものなのである。いや何も物を書くことだけがこの霧というか泥沼からの脱出手段でないことぐらい重々承知している。しかしものには行きがかりということがある。
 十五、六年ほど前にも、やはりあたりに霧が立ちこめて二進も三進も行かなかったことがあり、そのとき《書く》ことが思いがけなく近くに寄ってきたという経緯がある。もっとも、そのときの霧は、それまで五年間ほど所属していたカトリックのある修道会にとどまるべきか否かという迷いにまつわる霧で、直接《書く》ことにかかわるものではなかった。つまり宗教か文学かといったような二者択一的なかかわりではなかった。ただ、《書く》ことがその深い霧の中で、遠く点滅する探照灯のような役割を演じてくれたことは事実だ。
 しかし、あのときの私をすっぽりつつんでいた霧の正体は何だったのだろう。先ほどは、ある修道会にとどまるべきか否か(もっと正確には聖職の道に進むべきか否か)という迷いにまつわる霧などという表現を使ったが、果たしてそうか。なぜなら、あのとき、何カ月かの逡巡の後、ちょうど秤の針が一方にふいに傾くぐあいにかしいで、結局は修道服を脱いで世俗に戻ったが、しかし抜け出したと思った霧は、形を変えて、もしかするといよいよその濃度を増したかも知れないからである。ただそれまでと違うのは、確かに濃度は増したが、あたり一面あやめも知れぬ闇というぐあいにではなく、前方の見通しを邪魔せずにいわば背後にまわったと言えようか。霧の中にいたときには、いや東京での生活を切り上げて故郷に向かうときにも、この霧の正体をいつかは言葉で表現し決着をつけたいと願っていた。そしてそれが、さしあたり私にとって書くという行為の意味するものであった。
 帰省した年の秋から翌年の春にかけて、いくつか文字通りの習作を試みた。なにせ時間はもて余ますくらいにたっぷりあった。しかし田舎で定職も持たずにぶらぶらしていることは、つねに周囲から不審尋問を受けているようなものである。それならむしろ家にとじこもっていたらよさそうなものなのに、なぜか何者かに追われるようなぐあいに、しきりに出歩いた。そしてある日の午後、歩きなれた路地裏の、ちょうど家並がとぎれて白い土蔵の壁が夕陽に映え、枝先にしがみつくように残っている柿の実の色と不思議なコントラストを見せているのをぼんやり眺めているとき、それまで背後にしつこくまとわりついていた霧が一瞬霽れたように感じられた。いやもっと正確に言うなら、そのとき私にとっての「神」が消えたと言うべきかも知れない。
 しかし本当に消えたのであろうか。いや正確には見失ったと言うべきであろう。つまり私の視界からは消えたのである。その証拠に、と書けば何やら際限のない遁走曲じみてくるが、それからは消えたと思った霧が夢の中に登場するようになったからである。つまり意識の表面からは消えたが、たぶんもっと厄介なことには、意識下にひそんでしまったのである。しかしそこはよくしたもので、私にも人なみに結婚、就職(ここらへんの順序はふつうとは逆だが)、子育て(双生児だからやむをえず)と身辺いそがしくなり、そのうちいったんは棄てた東京への移転、そして教職や専門にまつわるさまざまな雑事が重なって、霧のことはあまり考えなくてすむようになった。夢の中にときおり現われることではあるし、すっかり振り切れたとは思わなかったが、さしあたって対決はまだ遠い先のこと、今はしばしの猶予期間というふうに思えてきたのだ。
 そう思うのには、つとめ先がカトリック系の女子大だったことも微妙に関係していたかも知れない。つまり、うやむやのままに後にしてきた未解決の問題をつき放して客観視するだけの距離を作らないうちに、ふたたびその問題の圏内にとりこまれてしまったということである。したがって、後ろに振りすててきた(と思われる)霧の正体をつきとめるために書くという必要性は、さして感じないですんだ。
 ところが今年に入って、つとめ先の大学で、ある学生の処遇をめぐって同僚と意見が衝突した。意見の衝突などというものは人間社会のいたるところにあり、別段珍らしいことではない。事実そのとき以上の激しい衝突はそれまで何回となく経験してきたが、しかし今回は不思議とこたえた。なにか張りつめていた糸がぷつんと切れた感じだった。と書くと、いかにもそれまで律儀に真剣に勤めてきたような感じを与えるが、事実はそれほどでもない。ただ、つとめ先がカトリック系の大学であるということに(今から考えると)必要以上に期待していたとは言えるであろう。もうかなり前から、いわゆる信者の務めから遠ざかっていたし、教会とか修道会とかカトリック校といったものの偽善性、形式主義、権威主義、世俗以上の、つまり純粋培養された、世俗性といったものを数限りなく見てきたにもかかわらず、いわば無いものねだりをしていたらしいのだ。
 自分としては一生懸命(でもないが)内部改革を志してきたつもりだが、結果としては白く塗りたる墓をしきりに補修してきたにすぎないことを思い知った。ぷつんと糸が切れたような空しさを感じたのはその間の事情による。要するに現在のキリスト教は、と一般化するつもりはないが、少くとも自分が接した範囲でのキリスト教は、人間理解において致命的な欠陥を持っており、そしてそこには社会性ないしは社会正義が見事なまでに欠落している、というのが現在到達した結論である。
 ここにおいてふたたび、十五年ほど前のあの霧があらためて意識されるようになった。つまり自分にとってキリスト教は何であったのか、修道生活は何を意味したのか、という問題である。問題は何一つ解明されずに来たのであった。そして解明作業をこれ以上先に延ばすことはできない、と思うようになってきた。それには年齢のことも関係しているに違いない。私も今年、馬齡を重ねて四十三になった。考えてみると、父より十年近く長生きしたことになる。
 しかし自分の中には、成熟というものをかたくなに拒否する傾き、そう言わないまでも、それに対する抜きがたい不信感があり、四十三にもなっていったい何をしてきたのか、というような意味でのあせりはない。ただ滑稽と笑われるかも知れないが、自分は八十八まで生きるのではないかという考えがいつのころからか住みつき、そうだとすると来年がちょうど人生の折り返し点ということになる。登ってきた(?)道を今度は下る番である。いやそんな風にはけっして思わないが、一応の区切りではある。うやむやのうちに中断してきた書くという作業を、ここらで再開した方がよくはないか。
 しかし何を書けばいいのか。いったい、自分には語るに値するものなどあるのだろうか。何もなさそうだ。すべては音もなく霧の中に沈んでいる。
 だが、語るに値する、とはどういうことなのか。書くに値するものが厳として存在し、そして他方に、書くに値しない無数のものがその書くに値するものを支え、自らは沈黙の海に沈んでいるのか。両者を分かつ基準はどこにあるのか。異例なまでに感動的な事件、体験、異例なまでに美しい、あるいは哀しい、あるいは腹立たしい、あるいは楽しい人間模様が書くに値するものなのか。だが〈異例なまでに感動的な〉という表現自体、すでに意味づけが完了していることを示してはいないか。すでに意味づけが完了しているものにいまさら表現を与えることが必要であろうか。なるほど、自分を含めた当事者たちの狭い世界だけでなく、もっと広い範囲の人たちに自分ならびに自分たちの体験を伝えたいからというのか。しかしそれだったら、本質的には自慢話、のろけ話とどこが違うのか。貧者を食卓に招く慈善家の心境と五十歩百歩ではないのか。いや、私はいちがいにそのことを否定するつもりはない。慈善けっこう、のろけ話けっこうである。可能なかぎり多数の人々に喜びと相互理解の輪に加わってもらう、大いにけっこうである。しかし所詮それが〈おこぼれ〉であることに変わりはない。つまり、本物の体験なり感動の二番煎じでありコピーである。いかに感動的に模写しようとも本物にはかなわない。それならむしろ、それら本物が忘却の彼方に消えさるがままにした方か、はるかにいさぎよいのではなかろうか。
 いさぎよい? いや、あっさり白状した方がよさそうだ。自分にはそのような意味での異例の体験、事件の持ち合わせなどひとつもないことを。もっとも、人それぞれ別個の人格を有し、したがってこの世に同一の体験などありえず、そしてそのことが逆に人格とか個性を存立せしめているのであるから、すべてが異例であると言って言えないことはない。理屈ではそうであっても、しかしたとえば前代未聞の逃避行とか絶世の美女との華麗な恋とか、世の中にはやはり異例と呼ぶにふさわしいものがある。だがどう考えてみたって、自分にはそんなものは薬にしたくともない。出生にまつわるロマンチックな秘密もないし、満州からの引湯げという日本民族の大移動の渦中にありながらもまるで餓鬼であったし(同年輩の子供の中ではとび抜けて記憶力のない方だろう)、小学、中学、高校とおよそ面白味のない少年期を送ったし、六〇年安保のときに大学生でありながらひとり皆に背を向けてだんまりを決めこんだし、もしかすると異例であるかも知れぬ修道生活も、そしてそこからの脱落も、先に述べたようにぼんやりと霧につつまれている。
                                   
 (おや、これから書こうとする小説が自伝的な内容を持つかも知れぬなどといつ決めたのであろうか。そしてなぜ思わせぶりにそのことを否定しようとしているのであろうか) 
                  
 あたりに立ちこめる霧の中から抜け出るため、たしかそのように書いたはずだ。本当にそう思っているのであろうか。たしかに霧はいよいよその濃度を増してきたかに見える。そもそもこのように恥も外聞もないプロローグを書こうとしたのも、何とかこの霧の中から脱出しようと思ったからだ。だがもう一度聞こう、本当にこの霧の中から出たいと願っているのか。
 いや、それはちょっと違う。抜け出そうという願いというよりも、あたりをつつみこむこの霧の正体が分からぬことへの一種のいらだちかも知れない。そしてこの霧の中で自分の位置が確定できないことへのもどかしさ。願いというならば、脱出への願いではなく、足元を照らしてくれる明かりへの願いである。たとえそれが一本のマッチの明かりでもいいし、あたりを照らし出すというより、いよいよ闇の深さを際立たせる線香程度の明かりでもこの際文句は言わないつもりである。そして照らし出された自分の足場がいかに狭く不確かなものであろうと、私はそこに偏執的とも言える愛着を持つにちがいない。
 そう、私の中には偏執的と形容するしかないある傾きがある。たとえば、切り立った断崖のわずかな窪みにあやうく身を支えながら仮眠をとる登山家、篠突く雨の中でかろうじて身体をぬらさない程度の軒端を見つけてうずくまる猫、要するに不確かで不如意な姿勢をとりながらも、自己の位相に半ばいきどおり半ば満足しているものに、胸のうずくような羨望を感じることがそれである。
 もっと大所高所から物を見たらどうかとか、人生は君すべてこれ男意気ですよとか、あるいは国許でひとりがんばっている母のいつもの言い草ではないが、身体をきたえて健康的に生きたらどうかとか、さまざまな忠告が聞こえてくるようだ。御説ごもっともである。一言の弁解もできない。もしかすると、ちょっと首を伸ばしさえすれば、すぐ近くに快適な陽だまり、健康的な緑地が広がっているかも知れないのだ。
 だが明るみの中では見えず、かえって薄明の中でその本質を現わしてくるものもある。いや、人間にとって重要なものはすべて、不確かで不如意な姿勢から見て、はじめてその本質をあらわにしてくると言えよう。だから事が順調に進んで、自分は明晰に見ていると思うときほど実はあぶないのだ。明るみの虚妄に陥っている。だから、と私は自分の姿勢を肯定する、霧の中から出ていくのではなく、霧の中にとどまり、そしてじっと眼をこらすこと。そのうち確かに何かが見えてくるはずだ。あせらず、また他を当てにせず。
 したがって、これは書き出す前の予感なのだが、私にとって書くということは、想像力を解き放ち、新たに豊饒な世界を創り出すというより、霧の中に複雑にからみあってわだかまる現実を、一本の糸に綯(な)い合わせること、つまり広げることよりもむしろ限ることに向かうであろう。たとえそれが生の豊饒化に向かわなくとも。 
 雑多なものに埋まって生活せざるをえない仕組みに対する鬱勃たる怒り。時おり、すべてのものを脱ぎ捨てたいという狂おしいまでの衝動に駆られる。しかしそのぎりぎりのところで踏みとどまる。いや踏みとどまるのではなく、急速に冷却する。そしてせいぜいやることといえば、机の中のがらくたを整理すること、わずかな蔵書のすべてから箱やカバーやらを脱ぎ捨ててやること。いやそれさえも億劫になって、ただ大きく息を吸い込んでから思い切りよく肺の中の空気を吐き出すことくらいである。
 職をやめ、女房子供を捨てて旅に出る、これは絶対にできないであろう。勇気がないといえば勇気がない。しかしいずこへ行こうと、静電気がごみを吸い寄せるように、いずれまたこの世のしがらみが付着する。下手に動いてかえって水をにごすより、息をひそめてじっとしていた方がいい。

(しかし何をくだらぬことを書いているのだろう。これは愚痴話ではなくプロローグのはずだ。プロローグのプロローグはいいかげんに切りあげて、プロローグの本体に話を進めるべきだ)

 さて私の小説だが、曲がりなりにも序文を書く以上は、それ相当の長さ(質のことはあえて不問に付す)がなければ格好がつかない。その覚悟ができているのかどうか。いや長さの問題以前に、どのような内容をどのような形式で書くかという問題がある。たとえばトマス・マートンの『七重の山』風の一種の回心記か、あるいはジェイムズ・ジョイスの『若き芸術家の肖像』張りの一種の訣別小説(キリスト教からの)か。『七重の山』などすっかり忘れていた本の名前が不意に浮かんできたのは滑稽だが、もちろんこれは手本にはならない。作者は聖アウグスチヌスの『告白』の現代版を書いているつもりだろうが、要するに自分はかつては世俗の塵にまみれていたのに、玄妙な神の御手に導かれて現在に至ったのですよという自慢話ではないか。だいいち方向がまるっきり逆だ。『若き芸術家の肖像』は、その点方向は逆とは言えないが、しかし待てよ、たしかマートンは『若き芸術家の肖像』を逆方向に読んで、つまりカトリックからの離脱とは逆方向に、すなわちカトリックへの帰依の方向に読んで改宗したのではなかったか。ということは、ジョイス自身の意に反して、彼の作品には裏返しの信仰が底流していたということだ。何とまあ強い信仰の流れよ。しかし私の中には、それが幸か不幸か分らぬが、カトリックの伝統なんぞその痕跡すらとどめていないのではないか。いや伝統も何も、そもそも信仰を体験したことがあったのか。

 (それが分からないからこそ、こうしてペンをとったのではなかったのか。それにお前は自分ではすっかり抹香臭さが払拭されたと思っているかも知れないが、果たしてそうか。いつぞやも、話相手から不意に「神父さん」と呼ばれて、もちろん相手はうっかりまちがえただけだが、不様にうろたえたことはなかったか。それよりも何よりも、いつまでこうして楽屋話ばかり見せているのか)

 いや、いきなり高名な完成品を例にとって自分の小説の方向を決めるのは乱暴な話である。書くべき内容がまずあって、それをいかなる形式で書くかという問題ではないはずだ。いままで書いてきたことからも明らかなとおり、私の場合、自分の過去さえまったく霧につつまれていたのではなかったか。迷路を俯瞰する全能者の位置に立つことはおよそ出来ない相談だし、また今後ともそれは望むべくもない。というより、その位置に立つことを拒否したい。だからいわゆる創作ノートなど無縁の、いや無用の長物だ。芸術的完成など最初から狙っていない。

 (なぜそうむきになるのか。むきになればなるほど負け惜しみの気配が漂ってくる。そう言いながらも、自分の書くものがすべて徒手空拳であることは望んでいないはずだ。書き出すことがそんなに恐ろしいのか)

 私にとって書くことは、ちょうどおっかなびっくり出す偽足の運動に似ている。偽足であるかぎり、たとえ出発点が自分の体験であっても、書かれたものはすでにして虚構の領域に属する。平たく言えば嘘である。きれいに言えば夢想である。あるいは己れの位置を測定するための前線基地、あるいは濃霧の中で遠隔装置で点滅する探照灯である。
 内容と形式などという、もともと実在しない区別立てにこだわるのは愚かというもの。オルテガが言うように、形式は器官で内容はそれを創造してゆく機能、あるいは形式は方角で内容は道そのものである。まず歩き出すこと。たしかに今は、無くもがなのプロローグ、積載量を超える荷物を積んで、離陸できずに地面をよたよた走る飛行機みたいなものかも知れない。しかしもう後戻りはできない。すでに賽は、不様に、しかし確実に投げられたのだ。あとはこの賽の描く飛行のカーブに従うしかない。
 磁石、地図、糧食、考えてなればそのいずれもカバンにつめていない。それどころか、旅立ちに備えて用意すべき何物も、そうだ何物も手にしていないわけだ。結局何事も実のあることを語らなかったプロローグ。ただ歩き出すきっかけしか与えてくれなかったプロローグ。今さら愚痴っても詮無いこと、歩き出せ。

 歩いている。十歳くらいの少年が挨っぽい道を歩いている。まだ歩き万はぎこちないが、そのうちしっかり歩くだろう。立ち止まる。何かを忘れてきたようだ。しかし振り返らせるな。

 (いきなり歩きだしたな。まあそれもいいだろう。いつかは踏ん切りをつけなければならないのだから)

 また歩き出す。 観念したらしい。 挨っぽい道を風に吹かれて歩いていくのが見える。プロローグも、 恥も外聞も、風にあおられて……

 かなり日差しが強く、足もとを吹き抜ける風も冷えきった足にとろけるような熱気を伝えてくるのに、見上げる空はやはり寒空で、電信柱の白い碍子にみじめったらしく凧の死骸がへばりついているのが見える。豆腐屋のブリキの看板が、風にあおられて耳障りな音を立て、下水のへりにしわくちゃになった『譚海』の表紙がいまにも落ちそうになりながら、いま一歩というところで踏みとどまっている。
 向こうから三人の子供が、風に逆らうようにして歩いてくる。なかの一人は、名前は知らないが隣りの組の女の子だ。それぞれ小脇にかかえているのが、赤い縁で黒い表紙の聖書であることが、なぜか遠目にもはっきり見えていた。礼拝に行くところらしい。すれ違いざまに横目で見たら、色槌せた布製のしおりが、それぞれの聖書にはさまっているのまでが見える。僕は明るい御堂に行くのに、彼らは陽のささない暗い礼拝堂に行くのだ。彼らはイエズスをイエス、あるにはエスなんぞと言っている。冒涜もはなはだしいではないか。
 雲が横切ったのか、行く手が一瞬陰の中に入ったが、すぐまたあたりが光につつまれた。教会への曲がり角のところで、急降下してきた風が、昨夜から食物の入っていないすきっ腹の僕のからだを吹き飛ばそうとする。風にはためくマリア様の空色のローブ。一位の天使の放った矢が、別の天使の頭の上をかすめて蒼穹に消えていった。



「青銅時代」、第二十六号、一九八三年