モノダイアローグという言葉は、スペインの思想家ミゲル・デ・ウナムーノの造語 monodiálogo の英語読み(なぜ英語読みにするのか、いささか問題ありだが)である。と書いて怪しくなり、西和辞典を調べてみたら、やはり載っていない。その意味するところは、独語(モノローグ)などというものは存在せず、あるのはすべからく自分と他の自分との対話(ダイアローグ)である、といったほどの意味であろう。もっと正確な定義(ウナムーノが嫌悪した言葉をとりあえず使うが)が見つかった時点で修正するかも知れない。
ともあれ、このモノダイアローグという言葉の下に、いったい何を書いていくつもりか、実は自分でも釈然としていない。ていうか(あれ、これは今流行の嫌な言葉遣いだ)見当もつかないというのが真実である。日々去来し消えていく(ほんと、歳のせいかその消え方の早いこと)さまざまな想念(妄想?)たちの切れ端をなんとか捕まえて、それらが何らかの意味を持つ思想になってくれないか、という虫のいい願いが根底にある。果たしてそううまく問屋が卸してくれるか。でもどっちみち始めないことにはそれこそ始まらない。
なぜ半ば公開の日記を書くのか。それは友人たちの目を意識することで、単なる独り言がウナムーノの言う意味での独対話になることを願っているからだろう。しかしこの方法は、下手をするとだらしなく流される涎のような言葉の羅列に終わる可能性がある。だがことさらな気合を入れるつもりはない。ここはひとつ長丁場と心得て、自然体で行きたい。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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