さしもの熱波も今日の曇り空の中では猛威を振るいようもなく、おそらくこの夏最高の温度を記録したまま、次第に勢いを弱めていくのであろう。I病院集中治療室には、かくして三人の老人が残された。入り口から向かって斜め左に、点滴の管をいくつもつけられて静かに横たわる性別不明の病人(たぶん男性)と、二つほど空のベッドをはさんで斜め右に、儀式前のインディアンの酋長よろしく、半身を起こしたままこちらの会釈に荘厳に答礼する八十八歳のおばあさん(耳が遠いらしい)、そして手前右側に家のバッパさんである。四、五日で退院かなと思っていたら、どうやら二週間は足止めをくうらしい。
入院翌日とその翌々日は、熱中症の後遺症(?)なのか、それこそ熱に浮かされたようにしゃべりまくった。それだけでなくいつの間にか看護婦さんに紙とボールペンを借りて、短歌もどきまで作り始めた。すでにそのかず数十首。あげくにこんなことを言う。「葬式は密かでかまねけんちょも、その前に(それも四、五年先のことらしい)お別れ会をやっと」。よく言うよ、バッパさん、最後まで派手なパフォーマンスかよ。
今朝はさすがに疲れたのか口数が少なかった。「ガンとか悪い病気じゃねーんだべ」と聞くから、「不整脈などは今までどおり、この間の血は食道が荒れての出血、心配ねー」、するととつぜん言う。「看護婦さんが良いって言ってたから、今度来っとき、大正琴持ってこい」。集中治療室に大正琴!!! それだけは止めてくれ! 「後からラジオ持ってきてやっから。お気に入りの深夜放送、イヤホンで誰にも迷惑かけねで聞けっぺ」。「枯れすすき」とか「天然の美」などを独特の中間音をはさんで甘ったるく、思いっきり下品に奏でられると、聞いてて変な気分になってくる。「やめろー、場末のストリップ小屋みてだから」とこちらも思いっきり下品な喩えを口にしたこともある。といって場末のストリップ小屋から果たしてそんな演奏が聞こえてくるかどうかは知らないが。
ただなんというのか、あの不思議な活力、もっと科学的に言えばあのクソエネルギーには、わが母ながら驚かされる。先日もお琴の先生に出張レッスンを頼んでいた。「美子さん、一緒に習うべ」。これが別のシチュエーション、別の組合せだったら、あら面白いおばあさんだこと、やってみようかしら、となるのだが。変人が身内にいると、なにかと厄介である。
(8/2)
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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