本末転倒

静岡は大好きな町だから、その悪口は言いたくないのだが…もうずいぶん昔のことになる。東京から地方都市静岡に転居したとき、双子の子供たちは中二だった。娘の方が転校初日に組主任から変な手紙をもらって帰ってきた。お宅のお嬢さんの髪の毛が自然の巻き毛かどうか知りたいので、三歳時、七歳時の写真を明日持たせてください。開いた口がふさがらないほど驚いた。自然の巻き毛であれパーマ(今はこうは言わないか)であれ、そんなことはどうでもいいが生まれつきのものであると親が保証します、と写真無しの返答を持たせてやったら、以後何とも言ってこなかった。系列校の大学教師のくせになんて柄が悪いんだ、と思ったのだろう。
 息子や娘を通じて今の中学や高校がどんなところか、いろいろ勉強させてもらった。たぶん現在も、あの頃と基本的には何も変わっていないだろう。いや、聞こえてくるのは、学級崩壊などさらに悪いニュースである。眉全(眉が全部露出していること)などという不思議な業界用語(?)を覚えたのもその頃である。ちょっと想像しただけでも、今の学校がどれだけグロテスクな場所であるかが分かる。好い年こいた男性教師たちが、女の子のスカートの丈とか、髪の毛の長さを計ったり取り締まったりしている図は、まさにエロ・グロ・ナンセンスの世界である。違反者は職員室に連れて行かれて、髪の毛を切られたり、時にはスカートにまで鋏を入れられたりする、という。これはもう犯罪の世界である。実の父親でさえ娘の髪など触ったこともないというのに、この教師たちは何を考えているのだろう。校門の鉄扉で登校時の女子生徒を押しつぶしてしまった教師のように、何も見ず、何も考えない(ようにしている)のであろう。
 そしてたいていの教師は疲労困憊している。授業や生徒指導で疲れているのではなく、試験や採点(だけならまだしも)のデータ処理・保管で疲れている。学校によっては、最終成績を出すために複雑怪奇な数式が使われる。教師たちは部厚い閻魔帳(などとは言わぬか)に、びっしり数字を書き込んでは、なにほどかの教育(仕事)をしたつもりになっている。しかしそんな数字など教育という本筋・本質からすれば、何の意味もない代物で、だいいちそんな記録を保管して何の役に立つのか。
 こういう中等教育の上にいわゆる(としか言いようが無いが) 高等教育が乗っかっている。その実体は……推して知るべし。(8/30)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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