福島第一原発の町で

今日は十日ごとの大熊町訪問の日。明日からは少し涼しくなるとの天気予報が嬉しいほどに陽射しの強い一日であった。いつもの通り六号線を南下していく。出かける前にちらと目に入った今朝の新聞のトップ記事「東電首脳総退陣 損傷隠し認め引責」が棘のように意識につきささったまま。
 福島第一原発が双葉町と大熊町に、そして第二原発が楢葉町と富岡町にまたがって存在することは漠然と知っていた。赤と白の煙突(?)は六号線の見慣れた風景となっていた。確か東電のテレビコマーシャルで、元巨人の野球選手と早稲田のエジプト学者が東京の電力の相当部分が福島県と新潟県(?)から送られてくると話していたことにも、今までは特に問題を感じてこなかった。
 迂闊なことだが、覚醒はいつも遅れてやってくる。だから福島県の知事や副知事が怒りのポーズを顕わにしていることに、なにを今更と非難する資格はないだろう。しかし嬉しいことに、原発の持つとてつもない危険性を逸早く察し、警告してきた目覚めた人たちも少数ながらいた。地元の詩人(だが中央 [?] でも高く評価されている)若松丈太郎氏はそのうちの一人である。私はといえば、半年前から浜通り地方(福島県は会津・中通り・浜通りの三つからなる)に住むようになったのに、この海岸線に沿って広がる美しい土地に二つも原発があることの不気味さにようやく気づき始めるていたらくである。
 もしチェルノブイリ級の事故が起これば、もちろん私の住む町は立派に危険地帯に含まれてしまう。「こちらもあわせて約十五万人/私たちが消えるべき先はどこか/私たちはどこに姿を消せばいいのか」(若松丈太郎詩集『いくつもの川があって』花神社)。
 原子力というこのパンドラの匣を開けて以来、人類は常に破滅の危険に晒されることになった。匣を急いで閉め、以後決して開けることのできないよう封印をすることはもう不可能なのであろうか。専門的な知識がないままに言うのだが、原子力の操作、その維持管理に絶対的な安全性など土台無理である以上、早急に封印する方向に叡智を結集すべきではなかろうか。東電事件と時を同じくして脱ダム宣言を支持した長野県民の良識と勇気に、ともあれ一縷の希望をつなぎたい。
 今日も義母に対する癒し犬クッキーの不思議な力を再確認したあと、暑熱の空の下、遠目にも傲然と蟠踞する福島第一原発を横目で睨みながら帰途についた。嗚呼!   (9/3)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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