やらずぶったくり

この時期になると嫌でも目に付いて、そのたびに苦い思いが込み上げてくるものがある。自分はもう安全な高みにいるから、だから意地悪な見方をするわけではない。別れてきた友人たちや真面目な学生たちの心中を思いやって、それでいたたまれない気持ちになるのだ。つまり新聞掲載の大学や短大の広告である。いやー(この感嘆詞は埴谷雄高の「あっは」や「ぷふい」のような形而上的な響きはなく、ただひたすら形而下的な嗟嘆の音である)世界中でいい年こいた若者たちがこれだけ大量かつ大規模に無駄な時間を過ごす施設・機関はないのではないか。ついこの間までは、正規の授業・講義の合間に遊び呆ける若者たちを指して、大学はレジャーランドと化した、と嘆かれたが、いまや大学そのもの、まさにその中枢までもがレジャーランドに成り下がっている(あやうく「盛り上っている」と言いそうになった)。
 たとえばある大学では地域社会に役立つ人材を育成するとして、地元の小学校に学生を派遣し、子供たちに「生きた英語」を教えさせようという試みが始まった。その当初の意図はよかった。しかし実体は学生自身の英語力がとんでもなく低く、ほんのお遊び程度に終始している。遊びながら学ばせるというのは、実は一番専門的な技術を必要とする難事業なのだ。その他新聞紙上などで、うちの大学ではこのような新しい挑戦をしています、という記事などを見ていくと、たいていはまさに噴飯もののイベント合戦である。
 いや、大学は高等教育機関としてその本務を全うせよ、などと時代錯誤の妄言を吐くつもりはない。そう、いくつか幸いな例外は別として、大学は疾うの昔から高等教育機関であることを止めているし、学生の学力(それが何であるかは議論の分かれるところだが、ともかく)が最低線上にあることは周知の事実である。問題はそこから先である。こういう厳しい現実に対して真っ向から挑むことはせず、つまり建学の精神を含めた経営方針そのものの抜本的見直し、教職員の意識改革など痛みを伴う改革には手をつけぬまま、先の例のような目先の「売り」をでっちあげようとばかりしているのだ。高い校納金を取った以上、学生たちと真剣に渡り合うべきなのに。いま校納金という言葉を使ったが、特殊業界用語なのか辞書には載っていないようだ。コウノウといえば貢納という言葉があったっけ。なるほど、コウノウ金、言い得て妙である。 (10/14)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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