近頃の若い者 (もん)

社会の中で老人が占める割合(たんに人口比率の面だけでなく)が増大するにつれて、とうぜん彼らと接触し彼らを世話する若者たちの数も増えている。義母が世話になっている施設にも、かなりの数のスタッフがいるが、おそらく大多数は二十歳台前半の若者たちである。かつてはたとえば看護婦とか修道女とかが一手に引き受けていた仕事を、今や人生経験も浅い、学校出たての若者たちが自分たちの仕事としている。
 老人保健のさまざまな制度の見直しや制定へと、日本が大きく老人福祉に踏み出した当初、現場のいたるところで大きな混乱があったようだ。いっとき我が家でも「ケア」という言葉が苦々しい響きで使われた。つまり嘴の青い若造(この言葉も最近は死語か)が指導者気取りでずかずか他人の家に踏み込んできたからだ。だから彼らの世話は一切受ける気にならず、しばらくは自分たちでなんとか処理しようとした。
 だが状況が変わり、現実に義母が世話になったり、おまけに自分たちの息子が会社勤めをしながら夜間、介護士の勉強を始めたりで、少しずつ当初の拒否反応が消えていった。すると次第に見えてきたのは、人生経験のない若い人たちほど真剣かつ謙虚に仕事に取り組んでいる姿だった。素直であることがかならずしも仕事における効率や効果に繋がるわけではない。ファーストフードの売り子が、別の仕事でも有能かつ親切であるとは限らない。しかし老人の世話をする若者たちの場合、売り手と顧客の関係とはまるで違う人間関係、半端な受け答えが絶対に通用しない厳しい局面、に絶えず立たされる。
 私たちの年代以後、たとえば医療保険や年金その他がいよいよ厳しい時代を迎える。バブル時代の杜撰かつ放漫な社会の仕組みのツケが若い人たちの上に重くのしかかっていくのだ。すまないなーと思う。だから年配者がでかい顔をしてると、無性に腹が立ってくる。よーよー自分を何様だと思ってるんだ、ろくなものも残せないくせに。公害と破壊された自然と、世界を何万回(?)もぶっ壊せるほどの兵器を残してなにを偉そうに。
 たしかヤクルト・タフマンのキャッチコピーにも使われたあのレイモンド・チャンドラーの言葉が好きだ。「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」。タフであればいいと言う時代は過ぎた。本物の優しさの中から少しずつ培われる逞しさこそが望ましい。若者(もん)頑張れ!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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