ストップ・ザ・コンビニ

ちょっと物騒なタイトルをつけてしまったが、言いたいことは非常に簡単なことである。つまりわれわれはどこかで便利さ(コンビニエンス)に歯止めをかけなければ、ということ。といって別段法律的に制限すべきなどとは夢にも思っていないし、他人様に説教するつもりもない。いくらバッパさんの息子だといってもそこまでは。ただ自分自身への自戒の意味をこめて確認しておきたいだけである。
 たとえばいっときテレビでしつこく宣伝していた髭剃り機(と書くとなんだか芝刈り機みたいで怖い、つまりシェーバーである)は、ヘッドが自由自在に動いて剃り残しがないという謳い文句で売り出されていた。べつだん剃り残しで困っていたわけではないが、あれだけ毎日宣伝されると、なるほど便利だな、買い換えようかなと、あやうく術中にはまりそうになった。しかしどんなになめらかにヘッドが回転しようが、自分の手首ほどには自在でないはずだ。怪我などで手首が自由にならない人にはすこぶる便利だろうが、たいていの人にとって、あたら自分に備わっている身体的機能を停止か麻痺させるようなものではないか。
 便利さそのものが悪いわけではない。しかしたとえどんなに便利さが志向され追求されようが、人間が身体的存在者である事実は豪も変わらない。そしてこの身体は、適度に使用しなければ機能低下は免れない。栄養失調(という言葉自体なんだか懐かしい響きがする)でも栄養過多でも肉体は好調(estar en forma) ではない。いま好調という言葉をスペイン語で置き換えたが、「調子がいい」ということは何を意味するかを教えてくれるからである。つまり調子がいいというのは、それぞれ(この場合は肉体と精神)がそれぞれの形(フォルマ)を保っている、分を守っている、ということなのだ。平たく言えば、人間は頭でっかちであっても、脳みそゼロの筋肉マンであってもならないということ。
 寒さの到来と関係があるのか、このところ朝方から身体全体が重い。運動らしい運動もせず、外出は車かバイクという生活が続いたツケがきて、自分で自分の「からだ」を持て余している。昔の聖人たちはこの肉体を指して「愚かな兄弟」とうまいことを言った。たしかに愚鈍で弱虫で見栄っ張りで根性無しかも知れないが、しかし生きている限りこの兄弟を道連れにするしかない。便利さもいいが、この愚かな兄弟をないがしろにすることだけは避けたいものである。
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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