右側だけのオーソン・ウェルズ

年末に来て、強烈なアッパーカットを右顎に受けたボクサー、あるいは右側だけのオーソン・ウェルズになってしまった。まっ、かっこよく言えばの話だが。昨日、歯周病の治療で年内分(右下半分)の手術を終えたのだ。これで下の歯茎の治療完了。後は年が明けてから上の歯茎に移らなければならないが、今はそんなこと考えたくもない。もしかして他の歯科医にかかっていたなら(これまで通っていた歯科医ならたぶん)これほど徹底的な治療は無かったかも知れない。手術される方も大変だが、する方も大変な力と技を必要とするからである。今通っている歯科医は三代目。友人の話だと、一代目は町の有名人、二代目はテニスとかに凝り、三代目は歯科医一筋とのこと。若いが確かに腕がいい。これから何十年(?)の長期展望に立って、徹底的に面倒を見てくれそうである。
 怖いので見ていなかったが、簡単に言えば歯茎と歯の間を切り離して汚れた部分を剥がし取り(?)、最後に歯茎を糸で吊り上げる(?)という手術。とうぜん時間の経過と共に顎とえらの部分が腫れあがってくる。化膿止めの薬は飲んでいるが、手術の腕がいいのか、痛み止めの薬は昨夜寝るときに念のために飲んだだけで、その後はまったく痛みはない。しかし外形だけは、リングを降りてきたボクサー並だ。
 表題に右側だけのオーソン・ウェルズなどと書いてしまったが、よく考えてみると、彼の特徴は顎ではなく頬の方である。映画史の中では『市民ケーン』の監督としての方が評価が高いのであろうが、しかし第三の男ハリーの風貌はアントン・カラスのチターの演奏に乗って実に強烈であり、そのときの頬の膨らみは、宍戸錠でなくても憧れるであろう。
 ところで上に「えら」などと書いたが、解剖学上は「下顎骨」とかなんとか言うのであろう。最近は「えらが張っている」ことは「大顔病」の元凶のように言われて、これを削る手術が流行っているらしい。
 それまで顔やスタイルに自信がなく、全てに消極的だった人が、何十万円かをかけて整形し、まるで別人かと思うくらいに明るく自信に満ちた性格に一変する実例などを見ると、一概に美容整形に反対するつもりはない。でも本当は考え方しだいなんだけどな。それに個性の無い小顔美人が増えてどうなる。オーソン君の例のように、もって生まれた骨格を最大限利用して(の際動き=仕草が大切)個性にまで高める方がずっといいと思うよ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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