サラマンカ、不思議な縁

一昨日、サラマンカからの一枚の絵はがきが舞い込んだ。初め、今年五月十四日から一ヶ月間、彼の地に日本から二十一名の声明団を呼び、グレゴリアン聖歌とのフュージョンの中で高野山金剛寺の修行等を写した自作の写真展『仏陀の子等』を成功させた池利文氏からのはがきかと思った。しかし読んでいくとどうも違う。あわてて名前を探すと Shigemi Inaga とある。聞き覚えの無い名前である。しかし小さい字でびっしり書かれた文面を読んでやっと思い出した。昨年四月に亡くなられた広島の稲賀敬二教授の息子さんの繁美さんである。お会いしたことはないが、父君の追悼文集についてのやりとりの中で確かに名前だけは記憶に残っていた。
 広大教授稲賀先生には、もう四十年近くも昔、広島イエズス会修練院で日本文学(古典)を教えていただいた。しかし私にとってはむしろ作文指導の先生として大恩を受けた。その息子さんが国際日本文化研究センターに入られたことは知っていたが、その彼がなぜサラマンカに!しかし落ち着いて考えれば、別段不思議はないのだ。サラマンカにできた「日西文化センター」で彼が日本文化を講じることになんの不思議もないからだ。ただ彼もはがきの中で書いているように、大昔父親から作文の指導を受けた教え子が後にウナムーノ研究家となり、そのウナムーノゆかりの地サラマンカで、二代目が日本文化を講じるというのは、不思議と言えば不思議な縁である(繁美さんは「何の因果か(?)」と書いている)。
 それにしても曲がりなりにもスペイン文化の研究者が、もう二十年以上もスペインに行っていないのは、怠け者と言われても返す言葉がない。しかし白状すると、もう死ぬまで彼の地を訪れることはあるまい、と思っている。これまで溜まった資料や材料だけでも死ぬまで整理しきれないからだ。というのは表向き、実は飛行機が怖いのである。できるだけ長生きしたいのである。
 ところで繁美さんのはがきによると、現在のサラマンカ大学には、「ウナムーノ新キャンパスというのが新しく市街の西にひろがって」いるそうである。何年か前、国連大学に押しかけてきた大学の現経営陣は、かつてのスペイン人文主義の牙城からアメリカの大学並のハイテク志向の大学に路線変更するような気運だったが、もしそうだとしたら地下の(天上の?)のウナムーノも今ごろさぞかし気をもんでいることだろう。
(12/23)

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください