昨年七月初旬よりほぼ毎日書いてきたこの「モノダイアローグ」もおかげさまで年を越えることができた。年が改まって最初の話題としては適切でないかも知れないが、時々友人にこのモノダイアローグはジャンルとしては何か、と訊かれることがあり、そのたびに返答に窮する。というのは真っ赤な嘘で、自分としてはジャンルは一切気にしていない(と言えば嘘になるが)。
でも、何であるか、というより、何でないか、と訊かれた方が答えやすいかも知れない。日記、じゃない。生活報告、ともちがう。エッセイ、でもない。小説、じゃないでしょう。もしかすると、それらすべてであることを初めから拒否しているのかも知れない。それもかなり前からのことである。ただ惜しむらくは、そうした隠れた拒否の姿勢が、なんとか実作品を通してプラスの力に転換されれば(表現されれば)いいのだが、それこそ力量不足で、ただ拒否の姿勢だけがさびしく独り善がりのまま立っているといったところか。つまりそれらマイナスのカードがプラスに転じる決定的な何か、あるいはその転機、に未だ恵まれていない、と言えば良いのか。
このあいだも『青銅時代』の現編集長H氏とこのことについて電話で長話をした。簡単に言えば分類不可能ということである。しめた!あと一歩である。
畏友T. N氏は以前(正確に言えば平成十一年十一月)、最近私が書いているものについてこう書いてきたことがある(褒め言葉は絶対に忘れない!といって、急いで記録を探しまわったのだが)。「花田清輝が《随筆のような小説》を書きたいと言ったようですが、貴兄のは《評論のような小説》という新しいジャンルで…」。
いくら親友の言ったことだとはいえ、花田清輝を例に出すのは、たしかにおこがましい。しかし方向性としては似たようなところを長いあいだ狙ってきたことは事実である。もう一人偉い人の例を出すなら、近松門左衛門の「虚実皮膜の論」がある。つまり芸術は虚構と事実が即かず離れずあることであり、表現法としても事実そのままより虚構をほどこすことによって真実に迫り得る、という考え方である。近松は強く芸術を意識しているが、私はむしろ現実の総体(それを真実と言い換えてもいい)に迫る方法論のことを考えている。だからここに書かれていることを間違っても事実そのものとお取りにならないように。以上、新年早々、煙幕を張らせてもらいました。 (1/2)
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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