今時の雨を春の雨などとは言わないかも知れないが……珍しくしっとりと暖かく降る雨である。おかげで、家の前の雪が溶けてくれそうだ。街中からほとんど姿を消そうとしているというのに、我が家の前は、二階の屋根に陽光が遮られるためか、白々と固まった雪が残っていたのである。次回は手早く雪掻きをすることにしよう。
とは言うものの、本音を言えば、雑草にしろ積雪にしろ、よほど見苦しくないなら、よほどの危険がないなら、そのまま放っておきたい方である。幸い、現在の向こう三軒両隣り(実際は片隣り)は大らかな方々なので気分的に助かる。これが几帳面なお隣りさんだと、雪が降るたびになんとも気が急いてくる。朝方、こちらがまだ布団の中だというのに、早々と起き出して雪掻きをしてなさる。時にはまだ雪が降っているのに頑張ってなさる。こうなるとこちらものんびり寝てなどいられない。ギックリ腰になる恐怖と闘いながら、スコップを持って飛び出して行かなければならない。
でも、こういう几帳面な人が適度に(?)世の中にいらっしゃるおかげで、道路や公共の施設などが清潔を保てるのだろうな、とは思う。清掃員やゴミ運搬車だけでは無理である。しかし「しょうがねえなー」などとぶつぶつ言いながら、それでも他人(ひと)様のために手を動かす人がだんだん少なくなってきているのも事実である。今の子供たちの中から未来のぶつぶつ屋さんが、適度に育って欲しいなどと、勝手なことを願っている。これも社会の一つの側面。
ところがもう一方では(マクロの社会というのだろうか)、イラクや北朝鮮など、それこそまともに心配しだしたらキリもない危険な暗雲が相変わらず世界を覆っている。昔、地下鉄の車両をどこから入れるのだろう、と考えたら夜も寝られない、というネタで、春日三球・照代の夫婦漫才が笑わしてくれたが、この時事ネタで笑う人などいまい。しかしテレビなどに出てくる評論家や解説者は、売れないお笑い芸人の久々の登場のように、なぜあのように嬉々として状況分析ができるのか不思議でならない。
こういう益体もない人間世界に、今日も暖かな雨が降る。利殖と憎悪、欲望と猜疑心で火照った頭を、この春の雨(今時の雨をそうは呼ばないか)で冷やしてもらいたい。心の底にしとしとと降る雨の音に耳を澄ませるだけでも、平和を願う小さき者たちの声が聞こえてくるはずだ。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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