巷に叫ぶ声

なにやら拡声器で叫ぶ声がする。この小さな町で物売りの宣伝カーなどめったに歩かないはずなのに。今日は日曜なので張り切ったのかな、と思って耳を澄ませてみると、どうも立候補者の宣伝カーらしい。先日、市議会議員選挙の投票所入場券のはがきが送られてきたことを思い出した。
 消極的な意思表示としての投票権の放棄をいつごろ始めたのかよく覚えていない。といって確たる信念のもとの棄権でもない。昔、大きく政治の流れが変わるのでは、と期待して投票所に出かけ、それがものの見事に裏切られてから次第に投票所から足が遠のいただけの話である。
 夫婦して新しい流れに掉さすつもりで投票に出かけても、日本保守政治を支える草の根みたいな同居老親が、とびきり保守的な候補者にしっかり二票入れるのだから、二引く二はゼロ、勝負は初めっからついていた。
 民主政治にまつわるあらゆる神話に対する夢も、もうとっくの昔に醒めている。現代のような複雑怪奇な世の中では、非政治的であることが時にラディカルなまでに政治性を帯びるなどとボヤいてみても、所詮負け犬の遠吠えでしかあるまい。
 しかし政治にしろ経済にしろ、そしてもちろん教育にしろ、今まで積み上げてきたものは、もうとっくに金属疲労を起こしている。こういうとき、とるべき道は二つだろう。つまりそれに代わる新たな機構への切り替え、そしてもう一つは漸進的な戦線縮小である。しかしエネルギー政策などに典型的に現れている前者の考え方は、現在の水準を落さないままで代替エネルギーをどうするか、というものであって、欲望の再生産であるかぎりいずれ行き詰まるのは明らかだ。そしてイリイチの言うアンプラギング(従来の連鎖から自発的に降りる)ことはだれも考えない。
 政治にしろ教育にしろ、これまでのあり方に対する根源からの見直しのないまま、小手先の改革、理念なき改革が先行する。選挙などしないで、独自な信念のもとに政治に関与したい者の他薦自薦リストを作り、無能力とか失政がはっきりした者から次々と取り替えていってもどうってことはない。つまり社会はけっこう正常に機能する。学校なんてつぶれてしまっても、人間はけっこう真面目に、いやはるかに誠実に身のほど弁えて生きて行くだろう。
 ところで市議選が近くなって、また家のバッパさんが元気になってきた。まっそれもいいか。
                             

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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