ある反戦・反核運動家の死

インターネットの本屋さん「アマゾン」に頼んでいたダニエル・ベリガンの本が8冊も届いた。英語を読む機会が少ないので、果たしてどれだけ読んで理解できるか甚だ疑問だが、今気になる思想家の一人なのでなんとか頑張ってみよう。邦訳は有吉佐和子訳『ケイトンズヴィル事件の九人』(新潮社、1972年)だけであり(拙訳『ひと我らを死者と呼ぶ』は未だ原稿のまま)、彼のその後の消息が知りたかった。その後、というのは、故ラブ神父を介して彼の詩集『出会い(Encounters)』を頂いた後あたりからのこと。特に、湾岸戦争、9.11、そして現在のイラク危機に際してどうしていたのだろう、と気になっていたからである。
 今回届いた本を見る限り、前にもまして旺盛な執筆活動が続いており(昨年の時点で散文作品38冊、詩集14冊、戯曲1冊)、反戦・反核運動による投獄が50回を越えたらしい。彼自身はイエズス会の神父という身分はそのままだが、ケイトンズヴィル事件で彼と行を共にした弟のフィリップは、その後、僧職を離れ、同じ反戦活動家のシスター・エリザベス・マクリスターと結婚したという。
 実は彼ら兄弟について本から知りえたのはそこまでだったが、先ほど「ヤフー」を検索していて、弟フィリップについての悲しい事実を知った。昨年12月6日、ガンのため死去した(享年79歳)とのことだ。
 80年には核ミサイルを製造しているペンシルベニア州のゼネラル・エレクトリック社(GE)の工場に侵入したり、相変らず過激な反戦・反核運動を続け、100回以上逮捕され、計11年間を刑務所で過ごしたとある。死の直前、妻にあてた手紙に「核兵器の製造や使用は神や人類への冒涜であるとの確信をもって死んでいく」と書いたということであるが、獄死だったのだろうか。兄ダニエルの正確な年齢は分からぬが、弟の年齢から考えて80歳は越えているはず。若いときから反戦・反核を闘ってきたいわば同志のこの弟の死をどう受け止めたであろうか。
 今回届いた彼のいちばん新しい著作は “Lamentations from New York to Kabul and Beyond”(哀歌 ニューヨークからカブールそしてその先に向かって)である。私にとって(そんなつもりはなかったのに)、今やアメリカは世界中で一番嫌いな国になりつつあるが、それを辛うじて留めているのは、ベリガン兄弟その他五指に満たない(もちろん私の知る限りの)哀しむ人(lamentador)の存在である。 (2/12)


息子注: 最終的に遺稿として『危機を生きる』(原題: They Call Us Dead Men)のタイトルで翻訳を完成させている。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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