とうとう蕾がほころびた。昨日の暖かさに促されたのか、よく見てみると、蕾が割れて、中から桃色のまだ畳まれたままの花びらが少し見え隠れしている。今日は少し寒さが戻ってしまったが、立派に耐えて数日後の本格的な開花に向けて準備しているのだろう。こうやって何十年も毎年花を咲かせてきたのだ。バッパさんに聞いたらすぐ分かるのだが、庭の櫻、樹齢何年のものなのだろう。すでに大きくなっていたものを移植したのか、それとも苗木から育てたものなのか。幹の太さからみるとどうも前者らしい。
昨日に引き続き、ウナムーノの『小説はいかにして作られるか』を読んでいる。すでに書いたことだが、実に奇妙な小説である。亡命先のパリで執筆したものを、フランス人の友人ジャン・カスーが仏訳して「メルキュール・ド・フランス」誌に発表、それを二年半後にエンダヤで、手元に原文がないまま作者自身がスペイン語に訳し…、
と、ここまで書いて、夕食のため中断。その後、たまたま見たテレビにバグダッドからの映像が送られてきていた。次の瞬間、リポーターの真向かいのパレスチナ・ホテルが爆撃されるというショッキングな場面が目に飛び込んできた。初めイラク軍の攻撃かと思ったが、どうやらアメリカ軍戦車からの攻撃(誤射?)らしく、新聞記者に死者や負傷者が出たらしい。解説者はしきりにうろたえ憤慨しているのだが、しかしどうもおかしい。つまり戦争なのにどこかにプレス・センターが用意され、そこで報道する人たちはなかば安全を保障されているというシチュエーションそのものが、考えてみれば奇妙奇天烈だということである。そういえば今回、現地に派遣されたレポーターに若い女性が何人もいるようだ。ざけんじゃない、もっと真面目にやらんかい!
誤解されることを百も承知で言うのだが、これでは真面目な戦争とは言えない。まるで見世物。ピンポイント爆撃だとか一般市民に死傷者が出来るだけ出ないようにするとか、よく言うよ、と思う。つまりそれだけ理性的な配慮がなされるのなら、戦争そのものをするんじゃない!
ローマの剣闘士の試合もそうとう残酷なショーだが、それとは比較にならないほど大仕掛けなスペクタクル。さあさあ御用とお急ぎじゃ無い方は寄ってらっしゃい見てらっしゃい、旦那、もう少しでいいところが始まりまっせ!
錯乱して逆上して人を殺す方がまだしも人間的である。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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