楽屋話

さてウナムーノの『いかにして小説は作られるか』だが、最終的な形は、ちょうど入れ子細工のように、小説の部分、それを書いている作家についての第三者の論評、それをさらに作者がコメントし、最後は作者の日記で締めくくるという複雑な構成になっている。ウナムーノはこの小説を書くにあたって、ジッドの『贋金つかい』やバルザックの『あら皮』を意識していたようだ。しかしスペインには絵画の世界ではあるが、そうした技法の大先輩がいた。ベラスケスである。彼の『ラス・メニーナス(女官たち)』では、王と王妃(鏡の中)を描く画家自身の姿を描くことによって、見る者と見られる者という単純な図式が逆転される(つまり絵を見るわれわれ自身が画家の被写体になるのである)。
 ところで私とウナムーノとの付き合いには長い長い中断があった。1976年に『ドン・キホーテの哲学――ウナムーノの思想と生涯』を書いたあと、関心は次第に十六世紀スペイン、とりわけ人文思想や神秘主義へと移って行ったからである。とりわけ興味を惹かれたのはルイス・ビーベスなどユダヤ系知識人たちのことである。彼らによって、イタリア発生の人文思想は深甚な内的変質を蒙ったと推定するところまでは来たのだが、それを実証するにはとてつもない作業が待っていた。まごまごしているうちに、私自身の生活上の大変化(辞職、相馬移住など)が続いた。
 こんな楽屋話をするのも、実はあと数回でこの「モノダイアローグ」が二百回目を迎えるからだ。つまりこの辺で少し考えを整理したくなったのである。私自身はいっさい読んだことはないのだが、むかし団伊久麿という人が『パイプのけむり』というエッセイを延々と続けたことがあるが、もちろん私の狙いはそれとはまるで違うであろう。私にはそんな「余裕」や「高尚な趣味」など無いし、洒落っ気もない。いや、そんなことはどうでもいい。問題は私は何の目的でたとえばこの「モノダイアローグ」を書いているのか、書き続けるのか、ということである。
 ウナムーノの『小説はいかにして作られるか』を思い出したのはそんなときである。そうだ、結局私が目ざしている方向はウナムーノのそれと同じではないのか。それにしてはこの作品をまともに読んだことがなかった。とりあえずはじっくり読み直し、傍証としてジッドやバルザックのものも読んでみよう。そこから何かヒントが得られるかも知れない。
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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