BS1で夜十時からの一時間番組『サイード、イラク戦争を語る』を見終わって、しばらく大きなため息。もちろん感動したからである。思想がこれほど力強く、そして効果的に魂を鼓舞するものであることを長いあいだ忘れていた気がする。昨今、魅力的な思想家も、魂を揺さぶる思想も無くなったとかなり悲観的になっていたが、いやいやそんなことはない、思想はいまだ健在なり、と嬉しくなった。
現代を生きる一つの方法論として、前から悲観的楽観主義という言葉を使ってきた。つまり現実を見れば、どうしようもなく悲観主義への傾斜を止めることが出来ないが、しかしギリギリの根っこのところでは、どっこい楽観主義であるべきだというような意味合いだったのだが、今日のサイードとスラーニ(ガザ地区の弁護士)の会話の中に、グラムシの言葉として「知性の悲観主義、意志の楽観主義」が出てきて、なるほど同じことだな、と納得した。
いや、そんなことより、まさにイラク戦争開戦前夜のエジプト・カイロでのサイードの講演と、前夜ガザ地区から駆けつけた友人スラーニとの会話をたくみに組み合わせた編集の仕方に感心した。いまいちばんその意見を聞きたかった思想家の一人がサイードだったが (もう一人はD. ベリガン)、期待は裏切られなかった。実は恥ずかしいことに、彼の著作を二つ購入したまま、まだぜんぜん読んでいなかったのである(『遠い場所の記録・自伝』と『戦争とプロパガンダ』)。
それにしても私にとって今までアラブ出身の思想家との出会いは一度もなかったのではなかろうか。これまでは十六世紀スペインや現代のユダヤ系思想家ばかりを読んできた。つまりイスラム文化や思想に関しては、あの悪名高いネオ・コンサーバティブの連中とほとんど変わらないくらい無知だったということである。せっかくスペイン思想史をやりながら、アベロエスなどイスラム思想家を敬遠してきたわけだが、これはやはりまずいでしょう。
見終わったばかりで、まだ自分の中で考えがまとまっていないが、ともかく背中をどーんとどやしつけられた感じである。お前、何をやってんだよ、変に達観して思想の力を小利口に見限ったような態度で。変な言い方だが、金窪まなこで無精ひげ、しかも持病のためか顔色の悪いサイードが、なぜかものすごくかっこよく見えた。
このドキュメンタリーを制作した日本人スタッフに敬意を表したい。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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