寂しさの果て

この「モノディアロゴス」で今まで何人の友人たちを見送ったことか。今日もまた一人の友人、それも40歳という若い友人を見送らなければならない。今朝方、起床してまもない混濁した意識に、その突然の訃報を告げるO氏の声は、まるで夢の延長のように聞きなせた。実は昨夜寝しなに、珍しくインターネットで遠出した。だれのサイトからだれのサイトへと渡り歩いたのかまったく記憶にないが、いつのまにかマドリード在住の未知の美術研究家のところに迷い込んでいた。そしてその「掲示板」に「Y君が死んじゃった」という何の脈絡もないメッセージを読んだのである。それほど珍しくない名前だから、私の知っているY君であるはずもない、と思いながら、しかし心のどこかに引っかかるものを感じながら深夜の彷徨から戻ってきたのである。
 あれはやはりY君のことだった。「どうして?それまで何か兆候があったのかい?」という畳み掛けるようなこちらの問いかけに、O氏は困惑している。彼にもまったく意外で唐突な訃報だったようだ。O氏とは共通の恩師の長男のこの突然の死で、真っ先に思ったのは恩師の奥様のことであった。最愛の夫を失ってそれほど時間が経たないうちに、今度は長男の死である。
 実はこれを書いているいまも今(午後六時)、A市の斎場では通夜の式が始まったはずである。告別式は明日午前11時から。遠方だからということではなく、数年前、以後一切の冠婚葬祭には列席しない、肉親ならびに自分自身の死はすべて密葬でと自分なりに決めたからである。その代わりといったら変だが、亡くなった友人たちのことは生きている限り決して忘れない、折りに触れて想い出し語りかける、という義務を自らに課した。それはそうなんだが……行き場の無い寂しさが体の中できしり、わだかまる。
 Y君とはある小さな小さな行き違いがあり、そのことについて彼が気にしていなければいいな、と思っていた。だからこの突然の死はことさらにこたえる。
 それにしても人間の生き死にのなんと間尺に合わぬことよ。このままいくと百歳は越えるぞ、と思われるバッパさんのような人もいれば、どう考えても人生の半ばにして、と思わざるを得ない死もある。二泊の帰省を終えて帰京する娘を妻と二人、曇り空の下のプラット・ホームで見送りながら、何か娘に言いたいことがあったのではと思ってはみるが、いいよいいよ元気でさえいてくれれば、と思い直した。
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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