夕刻、雨の中、郵便受けにT. M氏の二冊の古本が入っていた。義兄の病気・手術などがあって昨年の十一月以来久しぶりに帰省した姉と、巡回司祭の順番でこのところ月に二度ほどミサのためにS市から帰省する兄と、きょうだい三人が珍しく一堂に会しての(もちろんバッパさんと妻も一緒の)夕食のあと、やっと家事から開放されてその二冊の本と対面した。T. M氏が大手の新聞記者を辞めて故郷Y市に帰り、長らく個人紙を発行してきた人であることは漠然と知っていたし、何回かテレビの画面で見たこともあった。昭和三十九年と四十年に相次いで出版されたその二冊の本を古本リストで見つけて読んでみようかな、と思ったのは、地方でいかにして執筆活動を続けていくべきか、そのヒントを無意識裡に探していたからであろう。
末尾にあった略歴を見て、氏が東京外語のスペイン語科を卒業したことを初めて知った。だからどうというのではないが、にわかに親近感が増したことは事実である。そしてとりあえず読んだ「S学会会員への反批判」という文章を読んで、さらに氏との気質的類似性を感じた。
一昨日も書いたように、今日はちょうどこの「モノディアロゴス」開始一周年に当たる。折りしも一地方紙から求められて三週間ごとに六回ほどエッセイを寄せることになって、昨日その最初の原稿をファックスで送ったのだが、そこでもこれからは少しずつ外に出て、地域のためになにか役立ちたいという趣旨のことを書いてしまった。具体的にどういうことが出来るのか、実はまったくの白紙状態である。もちろんT. M氏のように個人紙発行など考えてもいないが、ともかくこのモノディアロゴスは一応ここでピリオドを打とうと思う。具体的に言うと、昨年七月初旬から書いてきたすべての文章を、ひとまずは「富士貞房作品集」に押し込んで、これまでの場所をまったく純粋の「日録」にしようかな、と考えている。あれっ、いままでのも日記じゃなかったの、と言われるとちょっと反論のしようがないが、微妙に違うのである。
■がさっそく便りをくださり、これまでのすべてのモノディアロゴスをコンピュータに保存したのでこれからゆっくり読み直します、と言ってくださったのを嬉しい餞の言葉と受け取らせてもらいます。みなさんも今度は「作品集」の方で、ときどき読み直していただければ幸いです。長いあいだのご愛読心から感謝いたします。
(7/7)
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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