五泊六日の夏休みを終えて帰京する娘を、いつもの通りプラットホームまで見送る。上り普通電車に乗るのか、若いお母さんに連れられた五歳と三歳くらいの可愛い男の子がやってきた。弟のことをお兄ちゃんに任せて、母親は誰かを探しに行くのか、階段の方に行ってしまう。その間、荷物と弟に目配りしているお兄ちゃんの健気な様子を、こちらは三人で感心して見ている。すると、階段から、この子たちの妹と思しき二歳児くらいの洟をたらした元気な女の子が、おばあちゃんと一緒に降りてきて合流。今どき珍しい、ほとんど年子のような三人きょうだい。
 いつかそのうち、孫を連れて里帰りした娘を、こうやって見送る日のことをつい考えてしまう。心配で心配でたまらないだろうな、と今から胸が痛くなる。
 ところで今朝読んでいた志賀直哉の『襖』という短編に、次のような子供の描写が出てくる。ある宿に隣り合わせに泊まった二組の家族の子供たちの生態である。

「子供同士はそんな事がなくても直ぐ友達になるものだけれど、吾々が来た翌朝、隣で唄の稽古が始まると僕の妹は直ぐ縁側へ出て、後手に欄干に倚りかかって、背をすりながら静かに横あるきをして隣を覗きに行った」

 とくに「背をすりながら…」という描写は、まさに予想していた通りの子供のしぐさをものの見事に、しかも正確に写しとっており、志賀直哉の凄さを再確認した。それにしても、こう子供のことばかり気にかかるというのも、こちらが歳をとったということか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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