中勘助の随筆集の中にある『猫の親子』を読んでいたら、「雉子ぶちのはいっためずらしく手のこんだ三毛」という表現があったり、別の箇所では単に「雉子」とだけある。猫の毛色の呼び方に「烏猫」というのがあるのを数年前妻から聞いて知っていたが、雉子猫というのは初めてである。雉子の羽の色を思い浮かべてみるが、猫の場合にどんな色になるのかちょっと想像がつかない。確か雉子は七色近い複雑な色彩のはずだが。
ところで家のココアは、今朝方見てみると鼻のあたりに血が滲んでいる。新しい傷からというより、先に出来た傷口を掻いたりして出血したのだろう。でも元気そうなので心配しないことにする。それにしても中勘助のところに二代にわたって訪れた猫たちの甘え方がなんとも羨ましい。ココアたちもいつかああなればいいのに。でも今年の春先にココアが何度も膝に這い上がって甘えていたこともあったっけ。根気強く待つことにしよう。
ところで今日も台風のせいか小雨のぱらつく寒い一日になりそうだ。晴れるのは明日の夕方かららしい。
佐々木 孝 について
佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)