午後クッキーのおしめや猫たちのご飯を買いにジャストに行った。帰り道、陸橋を登っていく先の空があまりにきれいなので、少しドライブしていこうか、ということになった。陸橋から続く道をまっすぐ進むと、高の倉ダムに行く道に出た。たぶん例年より取り入れが遅れているはずの稲穂が見渡す限り黄金色の絨毯を広げていた。開け放った車窓から入る風も、少し冷たいくらいではあるが実に気持ちがいい。三台ほど先を行く車があったが、登っていくにつれ最後は砂利運搬車らしいトラックだけになってしまった。下界はまだ陽が照っていたのに、道は次第に鬱蒼とした樹木のトンネルとなり、この先本当に視界が開け、ダムが現れるのか不安になってきたとたん、急に目の前が明るくなって、昨年の六月ころ娘を連れてきたときの場所に出た。深緑色の湖面は漣一つ立てずに森閑と静まりかえり、生物の気配さえ一切無い太古の時間を刻んでいるかと思われるほどであった。いちおう車の外に出てあたりの景色を眺めてはみたが、あまりの静けさに心細くなって早々に切り上げた。
  帰り道、人里に近付くにつれまた嘘のように陽光があたりを照らしていて、いまさっき抜けてきたあの世界がほんとうに実在したかどうかさえ怪しくなってきた。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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