同行二人

あれは確かJR大塚駅から乗った荒川車庫行きチンチン電車の中のことであった。週に一度、西ヶ原四丁目の東京外語に教えに行っていた頃の話である。一組の老夫婦が車中で喧嘩を始めた。いや喧嘩なんてものではなく、婆さんの方が一方的に爺さんを口汚く罵倒し始めたのである。どうしてそれほど激昂していたのかは分からないが、およそ常軌を逸しており、病的なものさえ感じられた。
 夫婦喧嘩は犬も喰わない。もちろん乗客はみな知らん振りをしていたが、婆さんのあまりのしつこさに、乗客もたまりかねたのか、明らかに婆さんに対する非難めいた咳払いのようなものも聞こえ出した。おそらく婆さんは連れ合いのトロいことを難詰していたに違いない。こちらは途中で降りたから、それからどうなったかは知らない。
 それとは逆の光景にも何度も出会った。退職して間もないような初老の夫が、それまでしたことのない夫婦そろっての外出で、やたら妻を怒鳴りつけている光景である。もしかすると、こちらのケースの方が多いかも知れない。どちらにしても、本人にはやむに止まれぬもっともな理由があるのかも知れないが、傍から見てけっして見好いものではなく、いいかげんにしろ!と言いたくもなる。
 二人三脚、同行二人(どうぎょうににん、もともとは弘法大師と二人の意味らしいが、それを夫婦二人に拡大解釈して)、その歳まで連れ添ったんだから、最後は仲良くしろよ、と言いたくもなる。いや、これは自戒をこめて言っているのである。
 記憶力や動作の速さでは、少なくとも今のところ妻より私の方が上である。妻のあまりのとろくささに、思わずでかい声になるときがある。あゝ醜いなあーと反省する。そうだ、ゆっくり仲良くボケていこう。どうってこたねえことばかりだもん。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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