批評しにくい作家

一昨日、電話で約束してくださったとおり、今日の午後、安岡章太郎さんから『天上大風』(世界文化社、二〇〇三年)が送られてきた。太いフェルトペンで書かれたサインも嬉しい限りである。書風は、良寛さんの「天上大風」のそれを意識されたのか、いつものサインより太めで豪快な筆致で書かれている。
 実は配達物の中に、ネット古本屋からの、さらに三冊の安岡さんの本が入っていたので、今日の午後はさしずめ安岡章太郎デイーの感があった。ちなみに三冊はいずれも一九七〇年代のもので、『サルが木から下りるとき』、『人生の隣』、そして『方言の感傷』である。安岡さんの本は今まで大体全部読んだ気になっていたのだが、古本カタログを見ていたら、まだまだ読んでいない本がかなり残っていたのである。
 それにしても、小説作品に限らず、さりげないエッセイまでも、なんとしなやかで自由な、そして鋭い批評精神のみなぎった文章であることか。一昨年亡くなった牛島信明さんと、いまだ活躍している文学者の中でだれが読むに値する作家か、と話し合うことがあったが、私はいつも安岡さんのお名前を出した。
 昔、安岡さんとお話ししていたとき、安岡さんが、僕は(あるいは私は、とおっしゃったのだったか)批評しにくいでしょう、と言われたことを急に思い出した。そう言えば、今まで印象に残る安岡章太郎論を読んだ記憶がない。
 なぜかな、と考えて、さしあたって一つの理由に思い当たった。つまり安岡さんの文章には、優れた小説の場合であっても、透徹した自己批評がすでに仕込まれているからではないか、ということである。一般的に言えば、作家の中にある批評家的要素は、小説そのものにとってはマイナスに働くはずである。しかし安岡さんの場合、創作家と批評家が実にほどよいバランスを保っているのである。
 いつか「安岡章太郎論」に挑戦してみようか? やはり難しいだろうな。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク