国語学者の金田一春彦氏が亡くなられた。もちろん氏とは一面識もないし、その著作もまともに読んだこともないが、ちょうど啄木の『ローマ字日記』を読んでいたときなので、ある感慨は持った。つまり文中登場する父・京助氏に連想が走ったからである。京助氏のことも実はあまり知らない。啄木の友人であったこと、そしてアイヌ学に多大の寄与をしたことぐらいしか知らない。あとはいくつか彼の、あるいは名義貸しした(?)国語辞典を持っているくらいである。しかしアイヌ学に関して、知里真志保との関係などいつか時間があったら調べてみたいと思ったことがあるが、はたしてそんな時間がこれからあるかどうか。
春彦氏の学問的業績については、繰り返すが何も知らない。しかし二代も続いて同じ分野というか生業というかに就く生き方に、ある種の羨望を禁じえないのは、自分の子供たちに自由に好きな道を選べと口では言いながら、やはり心のどこかで親の仕事を継がないことを無念に思っていたからか、それとも単純に自分が歳をとったからか。でも考えてみれば、子供の一人が、親の、挫折はしたが生業というよりはるかに内面的な生き方(修道生活)に一度は倣おうとしたことを諒とすべきかも知れない。
政治家が二代も三代も続くのは、聞くだけで嫌な感じがするが、学問における継承についてはなぜか点数が甘くなる。文化形成に必要な時間とデータの蓄積のことを考えるからである。子供にその気を起させる親が偉いのか、それとも親の仕事を継ぐ気になる子供が偉いのか。
でもよく考えてみると、学問継承が親子代々行われることが、必ずしもいいことずくめでもないだろうな、とはすぐ分かることである。友人の中にも何人かの継承者がいるが、かなり辛いこともありそうだ、と推測できるからだ。スペイン人は流派や学派を作りたがらず、一人一人がいわば人祖アダムの地点から、つまり文化的な意味での海抜ゼロメートルから始めたがる、と言われているが、もしかすると、文化創造にはそれだけの無駄と潔さが必要なのかも知れない。
ところで思い込みというのは不思議なもので、いままでアダムを人祖(じんそ)と言うと思って来たが、辞書にそんな言葉はないらしい。正確には人間の始祖と言うべきらしいが、ここまで思い込んできたのだから、私は死ぬまで人祖アダムと言い続けるつもり。誰か文句あっか?
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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