アナイス・ニン

家の中を三度ほど探し回ったのに、どの部屋にも「書き置き」が見つからない。暗くなってからの探し物は疲れる。昨夜はそこで探索を中断し、今日の日の出とともにもう一度中に入ってみた。でもやはり見当たらない。いったん家の外に出て、さてどうしたものか、と半ば諦めかけたとき、あっ、もしかして、と思い当たることがあった。それでもう一度家の中に入り、最初の部屋のドアを開けて裏側を見てみた。やっぱりあったじゃないメモ用紙が。そこにはこう書かれていた。

アナイス・ニンに

“私は、私自身が自分はこういう人間だと思っているような人間なのだろうか。それとも、他人が私について考えているようなものなのだろうか。ここで、私には決して知ることが出来ない私自身を前にして、私が書くものは凡て告白となる。そして私は自分に関する一つの伝説を作り出して、その中に自分を閉じ込める” 

ミゲル・デ・ウナムノ

 かくして、ヘンリー・ミラー『暗い春』の中にウナムーノの引用句を見付けるという課題は、あっけないほどの幕切れを迎えた。つまり第一エッセイ「第十四地区」の表題裏に堂々と書かれていたのだ。それなのに、本文の方を一生懸命探していたわけだ。
 ところでアナイス・ニン(一九〇三-一九七七)は、スペイン人のピアニストを父にパリで生まれ育ったアメリカの女性作家。ヘンリー・ミラーとはそのパリで知り合ったらしい。十一歳のときから生涯書き綴った『日記』が素晴らしいと、文学辞典には載っていたが……
 それはともかく、引用されているウナムーノの文章はどこからの引用かは、ちょっと分からない。もしかすると、正確な引用ではなく、ミラーがウナムーノを読んで勝手に作り変えた言葉かも知れない。でも言っていることは、いつものウナムーノの主張から離れてはいない。夕食後、上のようなことを書きながらいまさら出典を探すまでもないな、と思いかけたとき、電話が鳴って、川口に住む娘の連れ合いから、予定を早めていま分娩室に入りました、との連絡が入った。受話器を置いたとき、彼から初めて「お父さん」と呼ばれたことに気がついた。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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