今日は小高浮舟文化会館での六月の文学講座の日。今回から妻も連れていくことにした。話す方としてはいささか気恥ずかしいが、少なくとも先月は親戚が四人も出席したのだから、彼らに紹介するいい機会だと考えたのである。さて今回も新しい参加者も加わって賑やかな会となった。当分は埴谷雄高について話すことになり、とっかかりとして「無言旅行」と、埴谷さんの人となりや思想のアウトラインを知るには適当であろうかと考えて、昭和三十八年の「序詞アンケート」をテキストにする。
ところで話の途中、小柄なおばあさんが入ってきて前列に坐った。ときおりうなずいたりなどして最後まで熱心に話を聞いてくれた。さて話が終わり、入り口のところで今日も来てくれた親戚の人たちと話していると、先ほどのおばあさんがやってきて、「なんだべー、たーちゃん、よっちゃんだどー」と言う。なんとしたことか、二月ほど前に会ったばかりの「よっちゃん」である。「なんだベー、わかんなかったしたー、なんか上品なおばあさんが坐ってるとばかり思ってたー」「なんだべお世辞じょうずだこと、お世辞にはなんでも乗っかっとー」
島尾敏雄と仲の良かった三人の従姉妹たちの中でもいちばん明るくおっとりしていたヨッチャンである。歳をとって心なしか小さく見えたのか、その瞬間までまったく彼女と気づかなかった。連れ合いは疾の昔に亡くなったが、そのころイタリア映画にしきりに登場したラフ・バローネに似たいい男だった。三人のこども(二人は私のところと同じく、男と女の双子)もみんな近くに寄り添うように仲良く暮らしている。
彼らに限らず私の祖父方I家の人たちは、例外なく明るく、屈託がない。小さな田舎町に生まれたときから一緒で、時に諍うことがあるのかも知れないが、大地にしっかりと根を生やして生きてきた純朴な人たちである。とここまで書いてきて、いや待てよ、楽しいことばかりでもないのかな、そういえば一族の中でここ何十年かのあいだに自殺者が二人もいたことを思い出した。一人は、私よりずっと年上だったが、とびっきりの善人で心やさしい人だった。もう一人は、私よりずっと若く、同僚たちにも慕われ、人一倍責任感の強い青年だったと聞いている。
そうか、人間どんな土地に住もうとも、どんなに恵まれた環境の中で生きようとも、辛いことに変わりはないのか。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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