柄の悪さ

ときどきどうしても理解できないことがある。いや、時々ではないか、しょっちゅうと言い換えよう。プロ野球の1リーグ制か2リーグ制かで、またもやあの威張り腐ったオーナーの登場である。「たかが選手…」と言ったらしいが、今ちょっと「…」の部分が思い出せない。「選手風情が」「選手の身分で」だったか。
 どういう前歴の男か詳しくは知らない。かつては共産党員だったとか、極左だったとか。ざけんじゃない、俺らは共産党とも極左ともまったく関係ないけど、てめーみたいなものがかつては属してたと言われた方がえらーい迷惑だぜ。一度誰かの出版記念パーチーでてめーとニアミスしたことがあったっけ。近くで見てもその柄の悪さは際立ってたぜ。柄の悪さでは定評のある俺に言われちゃ、相当なもんだぜ。
 いや、分からないのは、そんな奴が組織のトップに居続けられる、ということなのだ。いまどきトップの座はものすごーく居心地悪いぜ。なにかと言えば内部告発があり、造反があり、まるで針の筵よ。それなのに、事の良し悪しはともかく、だれも天誅を下す勇ましい若いもんがいないなんてまっこと不思議なことでっせ。
 報道陣にかこまれる老人という図ですぐ思い出すのは、オウムの弁護士だったあの横山君。「もうヤメーテッ」と歯無しの口もぐもぐさせて抗議してたの、今でも懐かしく思い出すなー。彼の方が何千倍も可愛かったぜ。
 要は、あんな爺(ジジイ)相手にしなければいいんとちゃう?金魚の糞みたいに追いまわすのやめて、まったくの無視をきめこむのよ。びっくりするぜ、あのじ~さん。「ありっー、だれもいない、だれもボクちゃんのまわりに寄ってこない!」
 奴の言葉で傑作なのは、高橋選手会長などの合併反対署名運動を指して、「あんな大衆迎合的なことは止めた方がいい」だと。笑っちゃうね、大衆迎合的な新聞の社長が何を言う!いや新聞の方はともかく、プロ野球はてめーの馬鹿にする大衆にこそ支えられてんのとちゃうか?寅さんじゃねーけど、「カマツネ(だった?)さん、それを言っちゃーおしめえよ」

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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