珍しく曇り空の下、大熊に行ってきた。ウメさんは相変わらず眠った(?)ままだけれど、時おり眼を開ける。しかしこちらの呼びかけに、ちょっと前までは明らかに反応していたのに、最近はそれもなくなって、物凄く寂しい。でも今日は一度だけ、おそらく、いや確かに、こちらの訪問が分かったのでは、と思われる瞬間があり、それだけを慰めにして、また曇り空の下を帰ってきた。
これが歳のせいなんだろう、ちょっとした疲れがなかなか抜けてくれない。このところの愚かしいかぎりのすったもんだで、精神的にも疲れたが、さらにこの暑さで、身体の疲労も加わり、いちいちの動作に「よっこらしょっ!」と気合を入れなければならない。
でも昨日午後訪ねて来た▢君と心置きなく話せたことで、ここ数日のもやもやした気分がだいぶ消えていった。彼も今回のすったもんだの当事者の一人として悲しい思いをしてきたのだが、さらにそれ以上の心配事を同時にかかえていたことを初めて知った。途中から妻も加わって彼を励ましたのだが、しかし後から考えてみると、逆に彼から大きな激励を受けたように思われる。彼はここ数日、以前彼にやった『人間学紀要』第七号の巻頭を飾る田島佳奈子さんの「私が考える生と死」を何度も繰り返し読んでいたそうだ。未熟児として生まれ、腎臓が片方しかないまま、それでも六年間も生き抜いた弟の死を語ったあの文章である。
ほんとにそうだ。人間の生き死にに比べたら、自分たちが大層に思っていることなど、なんと取るに足らぬちっぽけな悩みであることか。こうして生きていられることの、なんと素晴らしい恵み!
十六歳という若さで試練に耐えなければならないのはちと酷かもしれないが、この老人の私も、半身不随のクッキーや、私が記憶係としてたえずそばに付き添わなければならぬ妻(少し大袈裟か)、私が死ねば途端に野良に戻らなければならぬミルクとココアのために、日々頑張ってる。交通事故やヤクザとのイザコザ(なんでまた唐突に!)などで思わぬ死を迎えることが無いように絶えず注意しているんだから、▢君、きみも頑張って!
(あっ、バッパさんのこと忘れてた!)
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ