スタンスの取り方

旧満州に関する本が、今日もまた古本屋さんから送られてきた。そして憑かれたように、さらにまた数冊を注文。こうして本を集めながら、自分と旧満州とのスタンスはどうあるべきかを考えている。
 ある年代の人たちのようにかつての満州体験を懐旧の念やみがたくただただ思い返すなんてことはしたくない。たとえそれがいかに望郷の念に、そして時に悔恨と罪の意識に満ちていようとも、結局は独り善がりのものでしかないからだ。
 確かに満州国は、新生中国が「偽満州国」と命名しているように、軍国日本が勝手に思い描いた幻想であり妄想であった。たとえいかに「五族協和」、「王道楽土」という理想を掲げようとも、それが謀略と威嚇のもとに進められた国家的犯罪であった事実を免罪することはけっしてありえないのである。
 その意味で満州国は幻想であり幻であった。
 しかし最近、相次いで見つかった封書二通とはがき一枚の父の文章を読んでいるうち、満州国の僻遠の地で、先のスローガンを信じて日々現地の人たちと接しつつも、次第に矛盾と欺瞞に気づき、それでもなお宣撫工作を続けるという徒労の中で肺を侵されて、ろくな治療も受けられないまま無念の死を遂げた父の「思い」が、父の二倍の歳になってようやく気になりだしたのである。
 彼がどのような思いで、いかなる夢を抱いて大陸に渡っていったのか。今日注文した『満州移住読本』(昭和十四年)や『満州国建国読本』(昭和十五年)あるいはすでに手元にある『満州文藝年鑑』や『満州補充読本』を読むことによって、少しは彼の「思い」に近づけるのでは、と期待している。
 でもこのように考える最終的なきっかけは、父の手紙もさることながら、先月思いがけない偶然が重なって息子のお嫁さんになった頴美さんの存在である。もちろん彼女はこちらのそんな「思い」を今は知る由もない。毎晩家内と二人、大連で正式ビザが下りるのを待っている彼女と電話(安い通話方法を見つけた)で話している。一昨日は下手ですよと恥かしがりながらテレサ・テンの歌をきれいな中国語で歌ってくれた。さて今晩も彼女の「お父さんお母さん」という優しい日本語を聞きたくて、二人して約束の時間をわくわくしながら待っている。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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