笑う女

先日の「天声人語」で紹介されていた本を取り寄せてみた。日本語を学ぶ中国の大学生たちの作文コンクール応募作品集、『「中国の大学生」発 日本語メッセージ』(日本僑報社)である。西安外国語学院の学生何文娟さんの「“日本人継母の遺志”」を是非読みたかったからである。文娟さんは父の再婚相手の日本女性を嫌って、愛犬を連れて家出したが、病気に罹ったときに継母の血を輸血されたあたりから継母の善意を認めるようになる。今度会ったら「お母さん」と呼ぼうと決心して帰省した彼女を迎えたのは信じられないような悲劇だった。つまり彼女の愛犬を連れて迎えに出た「母」が、飛び出した犬を追って車に轢かれてしまうのだ。文娟さんはそれまで通っていた音楽学院を退学し、継母の遺志を継ぐべく日本語を学び始める。
 収録されている上位四十六編の他の作品も二、三読んでみたがすぐ気が付いたことがある。文娟さんの場合同様、短い文章の中に必ず美しい印象的な風景描写が入っていることである。

「今年もまた桜の時期に墓の側で一日を過ごし、思い出に浸っていました。四月の風は私の頬を撫でて、花弁はひらひら降っていて、美しいです」

 中国人がだれでも風景描写を得意とするとは思わない。でも日本語を学ぶ中国人が、日本語、あるいは日本文化に鋭く反応して、自然の美しさに心の琴線を震わせるのは確かだと思う。つまり私たち日本人が忘れてしまっている自然の美しさに対する繊細な感情に共鳴しているのだ。
 もちろん中国文化特有の自然観があって当然である。このところ四大奇書の一つ『聊斎志異』をぱらぱらめくっているが、あの哀切なコオロギ同様、長く尾を引きそうな可愛らしいキツネに出会った。巻二の冒頭を飾る「笑う女(嬰寧)」である。山東省羅店鎮の王子服は、あるとき「一枝の梅の花を弄りながら歩いてくる」美しい娘に出会う。一目ぼれした彼が、彼女の住む村里をようやく探り当てる。男の前に下女に押しやられるように入ってきた娘は笑ってばかり。それも内からこみ上げてくるような愛らしい笑いである。
 結局彼女はキツネの化身であることが判明するが、二人は夫婦の契りを結ぶ。女は次の年、男児を生む。「この子も抱かれているうちから人見知りをせず、人を見るとすぐ笑う様子は母とそっくりだった」。読後、娘がそこらじゅうに植えた花の香りでむせ返るように思われた。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク