生命に関わる問題として

なんとも杜撰かつ奇妙な曲折を経て、わが原町市と、北隣の鹿島町、南隣の小高町が合併して「南相馬市」となることが決まった。もともとお上の掛け声で始まったこの町村合併の流れには反対であった。自分たちの住む町や村を、自らの力と体温で充足させていく気力も見識もない者同士が、一時的に支給(正確には貸与だろうが)される補助金目当てに擦り寄っても、期待できるのはわずかだからである。
 ただ今回の合併に、私として唯一意味が見出せるとしたら、それは東京電力と小高町・浪江町が結んでいる新たな原発設置計画を、当事者の一人として問題化する理由と権利が出来ることであった。実は自分の余生をこの風光明媚な海岸線を持つ福島県浜通りで送ろうと決める前までは、迂闊なことに原発について真面目に考えたことが無かった。先日亡くなったウメさん(妻の母)を大熊町の施設に見舞っているうち、ようやく事の重大さに気づき始めたのである。
 しかし現金なもので、自分の子供や子孫が将来ともこの地で生きることはないと思っていた間は、まだどことなく「他人事」であった。しかし思ってもみない状況の変化で、自分たちの子孫がこの地に根を下ろす可能性がかなりの確率で出てきた今になって、ようやく「我がこと」として切実な問題に思えてきたのである。
 「南相馬合併協議会報告書」なるものを瞥見すると、合併前のそれぞれの市や町が抱えていたものは、原則的に合併後の新市に「引き継がれる」ということである。しかし原発に関する小高町(と浪江町)の東電相手の取り決めまでもがそのまま新市にいわば「負の遺産」として相続されるのは、純然たる法律論としてもかなり問題がある。たとえて言うなら、前夫 [あるいは前妻] との間に重大かつ未解決の問題を抱えたままの女 [あるいは男] と結婚する者には、相手に対してその取り決めの清算あるいは白紙撤回を求める権利はないのであろうか。いや少なくとも自らを当事者の一人として三者間での契約の再検討を求めるのは当然の権利ではなかろうか。
 とは言っても、原発反対の意志をどう表現していけばいいのか、さらには反対運動をどのように広げていけばいいのか、現段階ではまったく見通しが立っていない。原発そのものについての勉強を含めて、ちょっとしんどいな、というのが正直な気持ちだが、事は生命に関わる問題、しつこく根気よく攻めて行きたい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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