当たり前のことかも知れないが…

午後、本当に久しぶりの大工仕事。二階の古い棟から新しい(といっても比較的に、の意味だが)棟に渡ったすぐの鴨居の上に、作り付けの二段の本棚を作ったのだ。旧満州関係の古本が机の周りに山積みになったままで、それらを収納するスペースを探していた。できるなら旧棟にと思ったのだが、もう適当な空間が残されていない。それに旧満州関係の本はできるだけ身近なところに置きたかった。そう考えると、食事の度に側を通らなければならないその鴨居の上が最適だったのである。横一間近くあるので、先日買い求めた中国語版『魯迅全集』も収まるかも知れない。
 ところで最近、『人民日報』など中国関係のサイトを見る機会が増えてきた。『大連日報』などはまだ中国語版だけであるが、新聞によっては、日本語版が無くてもスペイン語版があったりなどして、現代中国の情報はかなりの程度得ることができるようになってきた。
 そしてそうした中国発信の情報を読んでいるせいだけではないと思うが、最近、中国や韓国など東北アジアの国々がその存在感というのかプレゼンスというのか、次第に増大させていく様が、肌で感じられるような気がする。いやそれは私一人の気のせいではなく、確実にそれらの国々が発展し力をつけているのは紛れもない事実であろう。
 そのせいであろうか、近ごろ欧米の宗教や文化芸術を通じてわれわれが影響を受け、さらには培ってきた価値観や世界観が、いつしか色褪せて見えるようになってきた。私の場合、とりわけキリスト教的な世界観・価値観が大きな位置を占めていたのが、最近では、それがなにがなし独善的で狭量な、そして魅力のないものに思えてきて、正直我ながら愕然としているのである。もともと浅薄な理解と関わり方しかしてこなかったのだろう、と言われれば返す言葉もないのだが…
 いや書きたかったのはそんな深刻な内心吐露などではなかった。今日何気なく読んでいた『人民日報』に、若い日本人ボランティアが、中国各地で日本語教師や看護士などをしながら、地道に、献身的に両国の相互理解のために努力していることを、彼ら自身のレポートを通じて初めて知ったことを報告したかったのである。
 破廉恥な行動で顰蹙を買う日本人がいる一方で、こういうまともな若者もいるというのは、ごく当たり前のことかも知れないが、しかし実に嬉しいし、勇気を与えられる。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク