深刻な問題はさておき

頴美ちゃんの一年ぶりの帰省、第一日はどんな風に過したのだろう。撫順は大連とは比較にならないくらい寒いと思うが、彼女はそれほどでもない、と言う。雪はどうか、と聞くと、無い、と答えたが、その後、お父さんかお母さんが小さな雪ダルマを作ってくれた、と言ったから、ある程度の積雪はあるのかも知れない。さてその第一日目は、高校時代の同級生から電話があったりして、久しぶりの帰省気分のうちに靜かに過ぎたようだが、同行した弟のところには友だちが押しかけてきて、ビービー(確かそんな擬音語を使った)うるさかったようだ。
 子供たちはみな大連に出て(長女の頴美は結婚までデパート勤務、次女は自動車修理工と結婚、息子は服飾の勉強中)、家業の農業は両親だけでやってきたそうだが、作物は何か、畑はどの程度の大きさかは、まだ聞いていない。家畜は鶏と家鴨がいるらしいが、他の家畜、たとえば馬や牛はいないのかも知れない。機械はどの程度普及しているのだろう。
 思いがけないめぐり合わせで、中国東北部の農家に親戚ができた。今まで考えても見なかった中国経済や農業問題が何となく気になってきた。今日、ネット古本屋から届いたのも、そんな流れから注文していた本である。李昌平著『中国農村崩壊 農民が田を捨てるとき』(2004年、NHK出版)。現在のすさまじい経済発展が誰かの犠牲の上に成り立っていることは、素人でも分かることであるが、かつての上昇乱気流の中の日本以上に、都市部と農村部の経済的格差は大きいらしく、時おり新聞でも報じられているような、一種の農民反乱もあるようだ。ただし今のところ、抗議の矛先は中央政府そのものに対してではなく、地方行政組織の腐敗に対してのようだ。だからこそ李氏の弾劾書のような本の出版が許されているのであろう。
 いずれにせよ、当分の間は公害や環境汚染対策だけでなく、農業破壊にも通じかねない農民たちの辛苦をなんとか救済してもらいたいものだ。とは言っても、農作物の自給率がとんでもない低さにある日本の農業問題は、中国よりも深刻なのかも知れないが。
 いや現実世界は、私の個人的な杞憂などまったく意味をなさない速さと規模で、いずこへかは知らず、どんどん流れているのであろう。でもとりあえずは、今晩も撫順近郊の実家で、オンドルで暖をとりながら電話口で可愛い声で語りかけてくる頴美ちゃんとの会話を楽しもう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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