机の向きを変える

二階縁側の片隅にある我が「書斎」も、もう少しで三年目を迎える。書斎なんて名ばかりのみすぼらしいコーナーにすぎないが、それなりに愛着を感じている。と同時に、このごろは息苦しさも感じている。考えて見れば、これまでまともな書斎を持ったことがない。子供たちが小さい間は、生活に余裕もなかったので、家族の生活空間つまり卓袱台の横やときにはオシメの下が「書斎」だったし、二子玉川や清水市でも、空間的に少しはましになったが、書斎とはとても言えた代物ではなかった。
 ただ、今でも惜しいな、と思うのは、八王子の家の台所の上に鉄骨で組み上げたまるで浮き巣のような部屋のことである。それが初めての書斎らしい書斎であったのかも知れない。さすが鉄骨だけあって、飛び跳ねてもびくともしなかったが、いかんせん四畳くらいの広さしかなく、四方に本棚を置いたら、ちょうど鰻の寝床ほどの空間しか残らなかった。それでも東に面した窓からは竹林が望め、刻々と変化する陽光、そしてそのころはまだ外猫だった猫たちが、陽だまりを追って昼寝をしている様子などを眺めることができた。
 さて終の棲家と思い定めた今度の家は、古くて粗末な造りだが部屋数だけはある。だから書斎にしようと思えば何箇所か格好の空間がある。たとえば旧棟の、今私たちが居間として使っている二階のすぐ下の部屋も、そして春口に板の間に作り変えた旧仏間も、広々とした書斎になるであろう。当初はそのような意向を持っていた。つまり勤めがない分だらけてしまわないために、先輩I氏が自宅からいくつか駅をへだてたところのマンションを仕事場にして毎日通っているように、せめて一日のうちの数時間、一階の「仕事場」に下りていこうかな、と思っていたのである。
 しかし私の姿を視界の中に入れていないと不安になってしまう妻の最近の精神状態への対応策の意味もあって、ほとんど四六時中、夫婦は仲むつまじく同じ空間に生活している。冒頭に書いた「息苦しさ」もたぶんにそのせいかも知れない。でもものは考え様。これからの日々、むしろ二人、文字通りの二人三脚で仲良くやっていこうと覚悟してしまえばいいのでは…
 それで今日、今まで外に向いていた机を90度部屋の方に向けた。つまり、安楽椅子に坐って本を読んだりうたたね寝をしている妻の姿が常時視界に入る位置に改めたのだ。中途半端はかえって疲れる。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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